眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

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”味のある言葉”とオタクの咆哮

自分のつくる料理がだいぶ美味しい。
何かにつけて炒めもので、調味料は塩・コショウ・醤油だけ。油の量もわやくちゃで、すべての食材が焦げ焦げしい屋台味に収束する……なんて時代は過ぎ去った。
調味料は「料理のさしすせそ」を飛び越えて、いまや酒溶き片栗粉なども使う。さしすせかきくけこレベルである。

ロケットを発射する時を想像してもらうと分かる通り、物事はすべて、火力と分量とバランスでできている。
その辺をしっかりわきまえた僕の料理は大気圏を突破し、遥かなる料理の宇宙へ飛び出した。深み、旨味、まとまり。今まで見えていなかったものが星々のようにきらめく。

「うまい(笑)」
独りの時は、いまだに声に出して笑ってしまう。
自分でつくるものが、舌バカ常連のおかげで続いている町の定食屋レベルにはなっている事実に驚きを隠せない。
なのに、どこか罪悪感がある。
だって生まれてからいままで、食事はほとんど他人任せだったのだ。

まるで、エロ漫画を自分で書いて満ち足りてしまうような不可思議な気持ち。おいコレいいのかよ…がぐいぐい押し寄せてくる。外食よりずっと安くて、量も自由で、アレンジもできるなんて。なんだかズルすぎるんじゃないか?とか。

 

最近は暇があればレシピ動画や本を漁る。
中でも日本イタリアン界の巨匠、ラ・ベットラ落合務シェフの言葉が心地よい。
「焦らなくていいんだよ、そんなにフライパンを煽らなくたって、ほら君にもちゃんとできるんだから」
その語り口はまるでジャニーズの歌詞のようだ。

 

将棋ではいろんな意味合いを含んだ手を「味がいい」という。
一度の対局(試合)は短いと60手程度で終わることもあって、その場合、自分が駒を動かせるはたったの30回。その少ない手数に人生を懸けているのだから、より意味の多い手を指したいのは当然だ。

歩をスッと動かしただけで、銀と角の通り道ができて、将来的な王の逃げ道が生まれて、相手の飛車の行く手を塞いでいる、みたいな。さらに王手になっていたらもうパーティー

無論、これは日常にも適用できる。
たとえば朝に紅茶を淹れたとしたら。コンロの火で暖を取ることができ、部屋が加湿されて、ハーブの香りが立ち込め、喉が潤い、茶葉の成分で身体も癒える。ソファーでガタガタ震えて喉カラカラのままめざましテレビを見ているより、”味がいい”といえるだろう。

 

暴論、アダルトにも使える。
「若手社員が上司の職権乱用により逃げ場のない場面に誘導されてなし崩し的に口説かれに…」なんてシチュエーションの作品を探したいなら、「職場 居酒屋 飲み会 終電」なんてごちゃごちゃやらんと、「出張」と打ってしまえば一発だ。

この通り”味がいい”というのは、SEO等広いシーンに活用されている概念でもある。
もちろん、そう言語化されてはいないけれど。

 

結論、言葉にも「味のいい言葉」というものがある。

ただ、勘違いしてはいけない。
なんでもいいから使い道を詰め込んでしまうとつまらないものになり、どこにでもある”おいしい言葉”になってしまう。シンプルないちご味やレモン味に比べて、フルーツミックス味がそうそう魅力的でもないように。

 

社会に広く認められる人ほど、無難においしい言葉を求める。
分かりにくいもの、人を傷つける可能性のあるものでは票が取れないから。

ビルの高層にいる人ほど、それっぽい専門用語を打ち立てて悦に入る。
結果、「ダイバーシティが…」「ダイバーシティってなんでしたっけ?」「水平性」「水平性って?」「多様性だよ」「それってインクルージョンとどう違」「だから!」みたいなやり取りが生まれる。
このまどろっこしさは、言葉をおざなりにつくった人にまとわりつく罪のようなものだ。

一方、オタクは地下で咆哮する。
原始的な欲望と、ビルの上とはまた違う強烈な選民意識のもと、一般人には伝わらなくて構わないと腹をくくって。その潔さは時に結晶のような言葉を生む。

たとえば、絶対領域
初めて聞いた時、なんて美しいんだと感動した。まるで言葉自体に自信が満ち溢れているようで、説明を聞かなくても心が意味を理解したのだ。
ああ、その部分って絶対だよな!と。

 

「チクチク言葉」みたいにとってつけた表現ではなく、研いで紡がれて生まれた「皮肉」に近い響きに感じた。皮肉の語源は知らなくても、それが強烈なものであることは字面で分かる。悪意が、因縁が、ウィットが、そこには宿っている。

オタクの言葉は遠慮を知らない。ほとんどが甘すぎるか辛すぎるか苦すぎる。絶対領域に味を占めて、「三角デルタ」なんてマガイモノの表現も生まれる。

けれど、それは彼彼女らの間で、自分の感覚に忠実な言葉磨きが行われている健全な証左。
だからこそ、”上の方の人”にはつくれない輝きを放つのだ。

味のある言葉は、妥協せず考え抜いた意図の先に生まれる。
僕もいつか、咆哮のような言葉が書きたい。

 

そんな風に気持ちを引き締めた今日のお昼ご飯は、椎名町ソウルフード南天』の肉そば。
このクラスになると、レシピとかレビューとかじゃないんだよね。南天なのよ。