仕事の休憩中。
何年もこの町に住んでいるというのに、一度も来たことがない喫茶店に入ってみた。
ドアは大きく開かれているというのに、そこはまったくの別世界だ。
暗くて暖かい。
昔見た映画の社交界のような色彩と、オードリーが大通りで小躍りしそうな音楽が流れている。
おばあがこしらえたような座布団。
手を挙げるとゆっくり近づいてくる、おじい。
そこには、あえてぶん殴ったみたいなレリック加工では出せない、本物の時のひび割れを感じる。
なにを隠そう、そのおじいこそ店のオーナーであり、バリスタ。
予想だけどたぶん合ってる。でなければこんなにエプロンが似合うわけがない。
バリスタとは不思議な言葉だ。
すごく洒落た響きなのに、うしろに「丼」とつけると途端にガツン飯に思えてくる。
メニューを開く。
世界中の珈琲豆の種類と解説が、珈琲豆みたいに散らばって書いてある。冗談抜きで、情報比率は豆が8割で食事メニューが2割だ。
「チーズハンバーグと、サラダと、」
豆知識をかき分けて僕は朗読する。
仕事をし始めてからめっきり痩せてしまったから、カロリーはもう気にする必要がない。
むしろ気になったのは時間の方だ。
オーダー終了時点で休憩時間はあと40分。
おじいが厨房にたどり着くころには、残り37分くらいになるだろう。
杞憂をよそに、料理は超速でやってきた。(おじいは遅い)
ひき肉を焼く工程を挟んだにしては異例のスピードだ。
ひょっとしてマルシンと雪印なんじゃないかと思わせる、フォルムと味。
たとえそうだとしても別に美味しいし、喫茶店で食べるそれらはきっと格別だ。
かじってみる。
すごく美味しい。
別にその必要もないのに、ナイフを使ってちびちびと食べていく。
最近、仕事には少しずつ慣れてきた。
ライティングより慣れない電話業務の比率が高くなって、仕方なく毎朝られりるれろらろとろれつを整えているのだけれど、手と口って全然違うものだとつくづく驚かされる。
頭で考えて出すのは一緒で、実は大して考えてもないのに、口から出すとまるでピント外れの言葉になってしまうのだ。
しっかり注意され、しっかり放置され、しっかり腹を立てている。
けれど今までの職場と違って、人間関係は悪くならない。
「ネムヒコさんの全肯定なとこ、いいですよね」
図らずも、同僚2人にそんな類の言葉をもらった。
どうやら僕は、どんなに腹を立てても「良いものは良い」と言えるハートを手に入れていたようだ。
先輩が電話対応を実演してくれたら松浦亜弥ばりにすげえすげえも讃えてしまうし、同期で10個以上年下のデキる彼のことは「電話王子」と呼んで崇めている。
だから返される言葉にも愛がある。
なんだか、やりやすい。
こういうスキルを先天的に持った人のことが羨ましくなった。僕は40年も持たざる者として過ごし、不利なゲームを続けてきたのだから。
大らかにいこう。
純喫茶のコーヒーは、そんな風に言っているように見えた。
「1000円ちょうどになります」
色々カスタマイズしたのにぴったりで、喫茶店側のランチ戦略にまんまとはまった僕は、呆れるほど眩しい外へと戻っていく。
歩道橋を駆けのぼる小学生が、小さな信号を待つことなく通りを横切る。
おい死ぬぞ!
そう口に出かかるころにはもう生きて渡っていて、一瞬トラックの陰に隠れたと思ったら、その姿は忽然と消えていた。
ちゃんと信号を待って、フライングで共有チャット欄を見ると、チームの誰かが、僕の投稿したメッセージの間違いを指摘していた。
あー、そうか。
ケアレスミスを憂うため息が、珈琲の残り香で軽くなる。
なんだお前、手でも間違えてるじゃないかと。
家に帰るとすぐに、チャットを返信する準備。
ところがここでもケアレスミスで、ローマ字のまま”matigaeta”と打ってしまった。
マティガエタ。
手だとただの間違いでも、口にすれば珈琲豆の種類みたいで悪くないな。
変換するのも面倒だし、このまま送信しちゃおうか。
17人くらいが加入してるチャットグループで、まだ知り合いもちょっとしかいないのに、雑くマティガエタを放つ。本来僕はそんなことができるタイプではないのだ。でも、なぜかできるようになっている。
青瓢箪の画策する誰も知らない小さな革命が文学をつくった。
青天井の妄想が生み出す青写真は、結構な割合で喫茶から生まれた。
最初から正解なんてない。
それだけは間違いない。
矛盾みたいな気持ちで、僕は午後の仕事を始めた。