眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

世界にひとつだけのSEX

 

みなさんは、1人の相手と1度しかセックスをしなかったという経験があるだろうか。
僕は、1度だけある。

 

とはいえ、ワンナイトというわけではない。
僕はそういうのができない性分だ。
これは別に崇高な精神を気取るわけじゃなくて、適当な気持ちで手を出そうとしても、結局ちゃんと好きになっちゃうからってだけなんだけど。

 

逆に、相手のほうが適当な気持ちで近づいてきて、1度やってみたけど、僕のスキル、あるいはフィジカル不足でクーリングオフしたくなったとかでもないだろう。

僕とその相手はもっと縁深く、長い友人でもあったからだ。

 

相手の女性は、僕が15歳から20歳くらいにかけて憧れを抱いていた年上の人だ。僕が東京で、向こうは大阪。ネットで知り合い、定期的に電話やチャットで話すようになり、リアルでも年に1度くらい会って遊ぶようになった。

彼女からの恋愛相談があれば乗り、励ました。といっても僕は男子校で女性と縁のない生活を送っていたから、おとぎ話に対して感想を言うみたいなものだったけれど。

時には、
「僕ならもっと大事にするのに」
なんて小狡い言葉をかけた。
その言葉はまったく世間知らずで、煮詰めすぎたロマンの匂いに満ちていた。

そんな風に思春期に過ごした数年間を経て、僕の理想の女性像は、彼女のシルエットそのままに形どられることになる。

 

お互い、踏み込めばうまくいくはずがないとわかっていた。
そもそもが遠距離。彼女には近所に住む彼氏がいて、家族ぐるみの付き合いをしていた。日常的に「結婚」と口に出すくらいの進展具合だ。大学を出たら、いよいよ秒読みが始まる。

僕と関係を持ったのはそんなときだ。マリッジブルーというのか、卒業旅行というのか。お互いお酒を飲めるようになって、初めて会ったというのも手伝ったかもしれない。
誘ってきたのは向こうだった。

 

 


ホテルで彼女のシャワーを待つあいだ、僕は突然訪れたチャンスに戸惑っていた。偶像視していたのだから気分は悪くないはずなのに、いざとなると、どう力んでいいものか。
のちにワールドカップで日本代表FWの柳沢がゴールチャンスを逃し、「急にボールが来たので」と言ったのを僕には責められない。

ワールドカップやぞと。次いつになるか分からへんねんでと。
夢舞台で童(貞)心に戻されれば、スキルリセットされて当然だ。

 

ガチャッ、とドアの音がする。
小さくか細い身体を、バスタオルが大げさそうに包んでいる。
彼女は、濡れた髪を照れたように繰り返し梳いていた。

リアルで会った後は決まって何度も思い返したその顔と、想像だにしなかった首から下のシルエットが、どうしてもひとつにまとまらなかった。

 

・・・そして、ここから先僕にはまったく記憶がない。
ほんとうに跡形もなく消え去っているのだ。

顔、裸、声、始まりや終わりも。僕が生まれてこの方触れた森羅万象のうち、使ったエネルギーと、残った記憶の数がもっとも釣り合わないのがこの日のSEXだろう。なんせ5年以上の物語がクライマックスに向けて急加速したのだ。助走が長すぎて、突然跳ねたので、僕らは天国へ飛んでしまったのかもしれない。
もっとも、そんなに素晴らしかったという記憶はないんだけど。

この日の約1年前、初めて彼女とキスをしたときのことは、ずっと鮮明に、輝かしく覚えているのに。

 

数か月後、彼女は結婚した。
そんな残酷な事実が、僕の記憶中枢に鍵をかけたのかもしれない。

その女性と過ごした時間、いや瞬間は、最大風速的にいえば人生でもっとも甘いものだった。その甘さが、苦い終わり方だからこそ生まれたものだと分かってはいても。
そんな思い入れの深い人と1度だけ、というのもすごく稀有なことだろう。

 

先日ちょっとだけ勤めた会社は、そのホテルの近くにあった。帰り道、真横を通りすぎたとき、相当久しぶりにあの日のことを思い出した。そして、何もかも思い出せなかったのだった。

 

最後に。
この思い出を紐解くとどうしても結びついてしまうのが、『アバウト・タイム 愛おしい時間について』という映画作品。このワンシーンだけ紹介しておきたい。

タイムトラベル能力を持つ主人公ティムは、ある女性に恋をする。初めてのSEXに及ぶとき、1度目は緊張から力を出し切れずに終わってしまった。ところが時間を巻き戻して”2回目の初SEX”を行うと、人が変わったようにエネルギッシュなパフォーマンスで相手を大満足させるのだ。
この「巻き戻すとリラックスして別人になる」演出をしたのはおそらく男性だろう。同性としてその気持ちは痛いほど分かる。女性役のレイチェル・マクアダムスがとてもかわいく、優しいので、余計身につまされる。

 

恋愛に限らず、1度きりのチャンスを逃すたびについ考える。
2度目があったら違うのに。
でも、やり直しがないからこそきっちり決着がつくのも分かってる。

そんな風に短く儚い自己否定を行うとき、なんだか人生の真理に近づいたような錯覚を覚えてしまう。
別に、no.1になんてならなくたっていいんだけど。