眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

とっつきにくい私を解き放って



真っ昼間から湯船に浸かって本を読む。
熱中すること150ページ、気がつけば2時間近くも経ってしまった。一緒に入った柚子たちと一緒に身体をしぼませて風呂を出る。
脱衣所に自然光が差す景色には、罪悪感と優越感があった。

仕事を辞めて、僕はまた「ひとり」になった。昼の入浴はそんな事実をよりいっそう強調させた。別にパンツをはかないままリビングに飛び出したって、寒い以外は特に問題がない。世界の誰からも叱られることはないのだ。

栓を抜いて空っぽになったバスタブを眺める。ふとフランス人作家ジャン・フィリップ・トゥーサンの『浴室』を思い出す。
それは文字通り、浴室で生活しようとする人間を描いた中編小説だ。

 

その本に出会ったのは、池袋のジュンク堂本店。
あの頃も僕はちょうど「ひとり」だった。

当時はまだ大学生。バイト先の人間関係が面倒で、休憩中は適当な本を買って公園で過ごしていたのだ。『浴室』に手を伸ばしたのは、薄くてポケットに入れやすいのと、著者の名前が最強にかっこよかったからだ。ジャン・フィリップ・トゥーサン。何度口にしても飽きることのない響きだ。
別に、100冊から厳選して買った1冊じゃない。内容も大して覚えていない。とても大事な本になるはずがない…はずだった。

 

ところが――予想だけれど――その本は僕の人生を動かしたのだ。
出版社に入るとき、50問ほどの大仰なアンケートを書かされたのだけれど、その好きな作家の欄に僕はジャン・フィリップ・トゥーサンの名前を書いた。

これが村上春樹さんだったら、特にどこが良かった?だの、私も読んだ!だのと深くツッコまれたかもしれない。ところがおフランスジャン・フィリップ・トゥーサンさんとなれば、誰も手を出してこれないのだ。日本では知ってる人に出会ったことがない程度の知名度だし、なんだかすごいの読んでますね、で終わり。一気にエッジィな読書家の仲間入りだ。

シュールな設定とぉ、訳者の野崎さんの淡々とした風景描写がよくてぇ、くらいしか答えた記憶がない。

 


働く、辞める、ニート、働く、辞める、働く、辞める、働く、辞める。
働くと辞めるが人生で等価値に点滅している。

僕はひとりっ子なので、「ひとり」でいるのが苦にならない。
そして、「ひとりで考える時間」には強烈なポジティブイメージを持っている。
昔の投稿(詩を書くという青春)にも書いたのだけど、真に内心と向き合うときは誰しも孤独で、だからこそ強い決心を生むことがあると信じている。
寂しいと死んじゃう気はまったくしないピョン🐰なのである。

 

ただ、そんな強靭な孤独適性も裏目に出ることがある。
たとえば先に挙げたジュンク堂近くのバイト先では、一部で気難しいヤツという評判が立つようになった。実際は同僚の子とこっそりつき合って、こっそり別れたから、気まずかっただけなんだけど…知らない連中はいけすかないフランス文学野郎くらいに見てきたのだ。

これは偏見だけど、たぶんバイト仲間のほとんどが公立の学校出身だったからだろう。僕は典型的な私立の覇気をまとっているので、人懐っこさ重視のみなさまには扱いが難しい、らしい。

すぐそこにいる巨乳のソイツと最近までアレを致してたというのに、事情を知らないバイト先の連中は「ネムヒコ君ってもしかして下ネタ苦手?」とか聞いてくる。
イメージは明らかに面倒臭い方向にズレ始めていた。

 

そこで僕は静かな研究を開始する。
パックリと心を開かなくても、最小限の力であらぬ誤解を避ける方法はないものか?
結果編み出されたのが、次の3つのテクニックだ。



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「目は空へ」

さまぁ~ずの三村さんが、大竹さんに「なんでセクハラするコイツのほうが評判良いんだ」と言われた時、「それはね、目なんだよ」と即答していた。

確かに大竹さんははしゃいでも目は死に気味だし、三村さんは宣材から何から目をカッと見開く。しかも昔から意識的にやっていたという。大竹さんは相方の意外な策士ぶりに珍しく気圧されていた。

なんとなく分かると思うけど、人は目に表情が出づらい人物を怖がるのだ。

敬愛する芸人さんのやりとりにヒントを得た僕は、意識して目の光をアップさせた。無理に見開くことはないけど、表情に沿う表現を心がける。特に、何かを考えるときは伏すのではなく見上げるように空を眺めると、前向きな性格のイメージになる。

真上をずっと見てるとかはアホっぽいけど。

 

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口で遊ぶ」

僕は歯医者から子供用歯ブラシを進められたくらい口が小さい。家系全体で見ても鳥顔の系譜をたどっている。こういう、口周りがすぼまったタイプはわりと不満気質に見られがちだ。
これは完璧な偏見だけど、陽キャの卒アルは二カッと口を開いて、陰キャの卒アルはつんと唇を突き出しているイメージもある。

ということで、口にも表情をつけるようにした。
少し口角を上げ気味にする、下唇を気持ち噛む、真一文字に結ぶ、膨らませてみる。何それと言われるかもしれないが、人当たりのいい人はこの辺の感情表現がとにかく豊かだ。
鍛えれば声質、聞き取りやすさにも影響すると思う。

 

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「言葉をひらく」

研究した結果、公立民と私立民の違いが一番出やすいのはこの項目だ。
ひらく=漢字をひらがなにする意識を、頭の中で持つようにしたのだ。

これは文章にも通じることなんだけど、漢字・熟語っぽい言葉はどうしても距離を生む。僕はそれほどオタク喋りだったわけではないけれど、なんといっても息をするように「ネムヒコ氏~」と呼んでくるクラスメイトに囲まれていたわけで、多少は硬い部分もあったのだろう。
「偶然」を「たまたま」、「本来は」を「もともと」、「授業受講してる」は「授業とってる」といった風に、書き言葉の片りんををひたすら崩していった。

これをやって良かったのは、感覚で生きる人たちとも話すリズムが合うようになったことだ。厳密に伝えようとして漢字を多用する人もいるが、世の中にはちょっとでも小難しいと思考停止する人たちはたくさんいるんだと知った。
「これから食事しに行かない?」ではなく、「なんか食べたくない?」でしか伝わらないこともあるものだ。




こうして無事問題を解決し、あらぬイメージは消えた。
あれから10数年。3つのテクニックはすっかり体に溶けて、もう、何も考えなくても人は寄ってくるようになった。

ところが、また次の問題が現れる。

「あの人、見た目より話しやすいわ」と思ってくれるのはいいものの、僕は結局ひとりが好きなわけで、今度は「話しやすいわりにネットリじゃれあってくれないわ」という壁が立ちはだかる。だから、僕はいずれひとりになる。

努力で状況は変わるが、本質は変わらない、ということ。


メールを送ったら1か月後に返してくるような友達が好き。
遊んだらじゃあまた1年後、ってくらいの友達が好き。
旅行先に着いたら夜まで解散してしまうような友達が好き。

そんな風に「ひとり」でいさせてくれる友達が好きだ。

 

と、いつもにもましてとりとめのない、長いひとりごと。
ブログでやりとりするみたいな距離感は、昔から大好きなんだけどね。