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へんくつ住職とリアル三顧の礼

 

東京は久しぶりに雪が降るとか降らないとか。

こんな天気の悪い日になると、思い出すんです。
千葉の山奥に住むへんくつ住職のことを。

 

出版社にいたころ。
下っ端編集者だった僕は、新しい担当としてその住職のもとを訪ねることになりました。仏教についてのある原稿を依頼していたので、その受け取りを兼ねて挨拶することになったのです。締切までは間があったのですが、旧担当の先輩は
「早めに行っといたほうがいいから」
と言ってきたのです。場合によっては引き継げないかも、と添えて。

 

住職は自分の原稿を郵送するのが嫌らしく、直接受け取りに行く必要がありました。理由は、宅配業者を信用していないから。随所にそういうこだわりがあって、とにかく信用を重んじる人でした。

別に、編集者が原稿の内容を分からなくたっていい。
自分の原稿には万が一にも間違いはないのだから、礼儀をわきまえていればいいのです。

 

出家する前は、防衛大学から自衛隊へ進んだ経歴の方とのことでした。

 

 


ここからは「リアル三顧の礼」の始まりです。
一応説明しておくと、三国志で、名軍司・諸葛亮を味方につけるために劉備が3回足を運んだというあれです。
僕も失業保険もらうために3回以上はハロワに通っているので、よく考えるとそれほどの努力でもない気がしますが…個人対個人ではなかなか珍しいことでしょう。

 

1回目の訪問は、小雨。
住職はド迫力の人相の持ち主でした。眉毛が濃く、口を真一文字に結んで。漫画『魁!男塾』に出てくる塾長・江田島平八と、『龍が如く』に出てくる東城会直系嶋野組組長・嶋野太のちょうど中間くらいの顔です。

北斗の拳」のラオウと江田島平八では、どちらが強いと思いますか? - ... - Yahoo!知恵袋


開口一番、
「お前は何歳で、勤務何年目で、どこの大学を出ているか言え!」
と単刀直入に言わました。

30歳前半だというと「若造が」とほろ苦い顔になり、勤務2年目だというと「未熟者め」と虫をかじったくらい苦苦しい顔をして、大学名を言うと、なんとか踏みとどまりました。通った!麻雀で無茶したときと同じ感覚に陥る僕。
一応は歴史のある大学を出ておいてよかったと、これほど痛感した日はありません。

 

2回目の訪問は、大雨です。
僕は会社の服装規定にはないスーツを自主的に着て、靴下をびしょびしょにしながら山道を登りました。山のふもとのコンビニで靴下を買い、訪問直前に玄関先ではき替える万全具合。荷物検査でもされたらある意味終わりです。

この日もありがたい訓示をいただくばかりで、何も進展はありませんでした。

 

そして3回目の訪問はほぼ嵐。
もうとっくに原稿はできているらしいのですが、いっこうに渡してくれる気配がありません。ただただ、渡せる人物かを吟味する時間なのです。僕はまたしても正座して説教を聞くばかりで、いつまで続くんだろうと不安になりました。

さらに運が悪いことに、この日は途中で保険の営業が訪ねてきました。どうやら足しげく通っている馴染みの方のようです。普通の中年女性でしたが、人心掌握術がうまいのか、住職の好みのタイプなのか、
「悪いねえ!こんな日にわざわざ山道を~」
と上機嫌で商談がはじまりました。

斜め後ろには、山道の下どころかわざわざ東京から来た人間がこっそりにらみを利かせているにもかかわらず。

 

隣の部屋で待ってろ、と言われて正座を続行。
地獄のような時間が続きます。
保険の新プランに関する規約をひとつひとつ丁寧に確認しながら、トメハネしっかりゆっくり記入していきます。

やることがなかった僕は、なんとか正座を崩すために知恵をめぐらせ、部屋の端にある仏壇に目をつけました。
隣で起こる商談の賑わいの隙をついて、四つん這いで近寄ります。

 

それは、亡くなった奥様のようでした。
旦那の分まで優しさを蓄えて生まれたような、柔和なお顔が飾られていたのです。

「ありがとうございます。あなたのおかげで私の足のしびれが解けました」
僕は心からの感謝とともに手を合わせました。

 

その日の帰り際、住職から
「今度私が出版社に原稿を直接届けてやる」
と声をかけられました。

「念のためお前の上司の評判を聞いて、問題がなければよしとしてやる。妻の顔に免じてな」

仏壇のあるところは隣の部屋からふすまを隔てた死角ですし、チーン!と鳴らしてはいないのですが、住職はなんらかの手段で僕の行動を察知したようです。周りの見えないオレ様気質のようで、どこか繊細な面も持ち合わせている人だと分かりました。もしかしたら、自衛隊仕込みの地獄耳で、畳をこする僕のほふく前進音を捉えたのかもしれませんが。

 

 


その後、本の編集を始めると、
「挿絵を0.2ミリずらせ」「この注釈を加えよ(500文字ドーン)」「全体に文章の位置が高すぎる。全軍後退せよ!」
といった難癖レベルの修正が延々繰り返されましたが、速攻で著者を「クソ坊主」と呼びはじめたデザイナー陣とは違って、僕はそこまで腹を立てませんでした。
それは、住職の人柄が少しずつ分かったからです。

 

本の最後の章には、妻の死をきっかけに出家した背景などが書かれていました。この世に絶望し、人を信じられなくなり、仏の優しさを学びながらも周りに当たってしまう葛藤が、とっても偉そうな口調で描かれていたのです。

家を訪ねてきた保険の営業の方は、おそらく生前の奥様を知る方、もしくは奥様と近い世代の方だったんでしょう。

 

上梓の後、あの難解で分厚い本を読み返したことは1度もありません。
ただ、巻末の夫婦ツーショット写真だけは定期的に見たくなってしまうのです。あの満面の笑みを僕にもいただけたら、もっとよかったのですが。