眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

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ブログを書けない理由と、書く理由

ブログ離れが深刻で、ついに10月は1度も書けなかった。
僕の仕事は「人事」と「ライティング」の二刀流。日中はひたすら人と話す時間に追われているて、長時間話すのが苦手な僕にはそれだけでだいぶダメージなのだが、合間には疲弊した身体を奮い起こしてモノを書かなければいけない。自ずと、仕事終わりにさらに追加で何かを書こうとはならないのだ。

2つの部署をまたぐって大変だ。なんちゃって管理職ならともかく、プレイヤーとして掛け持ちするのは想像以上に面倒が多い。顧客も二倍、ボスへの報告も二倍、書類の取り交わしも二倍。佐々木小次郎はともかく、大谷翔平への敬意が特大ムーンショットで高まっている。

隙があればサウナに行く。
できるだけ余計な考え事を止めたいからだ。熱して、冷やして、日本刀みたいに、心をムダのないプライベートフォルムに研ぎ澄ましていく。

そうして頭から仕事の余韻が消えた後、帰り道には「何か書けるものはないか?」と探してはいる。書くこともないし、書けてもいないのに、罪悪感が心へ侵入するのだ。

 

はてなブログで「私がブログを書く理由」みたいなテーマが募集されていたのも知っている。ついでにいうと、タチバナナオさんの記事が公式に取り上げられているのも。
いろんな刺激を受けて、最近では珍しいくらい悩んで、それでもまた書いている。

なぜ書き、なぜ公開するのか。
怠け続ける自分への罪滅ぼしに考えてみることにした。

 

一つは、昔からやっているからだ。
インターネット黎明期に青春を迎えた僕は、音楽や文芸のような芸術的思考をさらけ出せる類の友達がおらず、全てをネットに投げていた。そこには公開するorしないの選択肢はない。ネットに書く以上誰かに見られる可能性はゼロではないし、まったく期待していないような人との出会いもあった。恋愛、バンド、仕事…後発的ではあるけれど、思いもよらないつながりが生まれるっていいな‥‥などと面白がっていたのは確かだ。

 

ライティングの仕事を経験してからは新しい理由が増えた。職業にしてしまうと好きに言えないから、撒き散らしてやりたくなったのだ。ファクトチェックも校正もディレクターの好みもない、自分の言葉を確かめたくなった。

それはタダなんだけど、タダにしては得をしたなと思ってもらえたら嬉しい。人が数年の歳月をかけて得た経験って案外バカにならなくて、その発信源が素人だから身に染みたりもする。

 

あとは、趣味ってそんなもんだろうってとこかな。草野球もフラメンコも、クオリティが低いからって地下室でやるわけじゃない。開けてるから「見に来てよ」と誘えるし、「君もやらない?」と巻き込める。文化は見せる気持ちから広がっていくのだ。

趣味で焼いたマフィンに、「うわっ店と違ってマズっ」と言い放つ。世の中はそんな人ばかりじゃない。

釣りみたいに、基本は一人が好きでやるんだけど、ちょっといい魚が釣れたら誰かに言いたい。それくらいでやってるし、そんな矛盾こそが人の一番可愛いとこだと思う。

 

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と、三連休でごったがえす新大久保になぜかたどり着いてしまい、まずい軽食をとった後に書いてみる。

プロの作るものがうまいと言うのも幻想だ。

近所にある、四川でたくさん修行したらしい中華屋の肉野菜炒めより、うちの嫁のヤツのほうがずっとうまい。