※引用元:ストレッチポール公式サイト
ストレッチポールというものを買った。
リモートワークでの面談や商談の合間に、2~3分やるだけで体調がだいぶ違う。当然仕事終わりにはやるし、気がつけば10分以上も経っているときがある。
枕みたいに首の下に置いて頭を左右に振ってみたり、↑みたいにタテに乗っかってみたりする。小人になって印鑑と戯れるような試み。これがなるほど気持ちいい。
真顔で天井を見上げて思う。
ぼくはかたいにのっかって、やわらかいになろうとしてるんだなあ。
なんだか、こころまでひらがなになる。
ひとは「やわらかい」がよしとされる。
じべたよりもふかふかのべっどでねたいし、おにくもかっちかちよりすぐかみきれるほうがいい。けっきょく、かねもちとびんぼうのちがいは「やわらかい」か「かたい」かなのだ。おかねさえあれば、やわらかいひとをもんだりもできる。
ぼくのこんなかんがえも、はっそうがやわらかくならないとうまれない。
かたいほうがいいのはそれが”ざい”であるときだ。いえをつくるもの、ひとをまもるよろい。なにかをまもるにはかたいほうがいい。それはどちらかというときょうふからうまれるもの。きもちいいをめざすなら、やわらかいのほうがまさるのだ。
「かたいねぇ~」といいながら、おいしそうにごはんをたべるひとはいない。
(かためのめんはかためであってかたいではない)
いしだけは、かたくてもやわらかくてもいいかもしれない。
けっしんは、つらぬうこうとかえようとどちらでもかまわないのだ。
かんがえること、かわろうとすること、それさえあれば。
あなたをうごかすきもちが、たのしさだってきょうふだってかまわない。
などとそれっぽく
かんがえてうとうとしてきたら
ドーン!
と妻が
意表を突かれるというのはこういうことを言うのだろう、というくらい猛々しく。
咄嗟に僕の身と言葉はぐっと固くなり、夢と現の間のあいだにあるひらがなの時間は消え去ってしまった。
どうやら僕は妻の布団で寝かけてしまっていたらしく、不法侵入者の烙印を押されようとしていたのだった。
そして妻もまたひらがなの世界へ。
結婚とは結局、判を押すかどうかの違いでしかないのだろう。
「わかる」と「判らない」。
「わかる」と「判ろうとしない」。
夢と現、ひらがなと漢字、自分と他人。
きわどくインをついて
誓うように印をついて
僕らはやわらかくてかたくてふたしかな、絆につながれて生きていくのだ。