眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

甘党、水飴、ブドウ糖 〜水もしたたる飯島直子〜

 

ダイエットを始めて、やっと分かった。
うちの妻って相当な甘党だ。
あんまり見え見えのお菓子の形では買ってこないので、際立たないだけだったのだ。

 

カメラとか、

 

チェスの駒箱とか、

 

バッグ型のケースにしのばせてみたり。

 

あるいは旦那があまり覗かない、冷凍庫の奥に滑り込ませている。

 

可愛いあんちくしょう!
巧妙に意識を散らしながら、甘味帝国の侵略を着々と進めていやがったのだ。

そういえば、たまーに2人で行くサーティワンは決まって6個入りを選んでいた(僕が2個食べる)。「スモール」だからまあいいか。ずっと体重30キロ台だし、太らないんだろうな。そんな風に彼女のバランス感覚をかいかぶっていたけれど、6個はどう考えても中年の分量じゃない。

僕もこのまま彼女のペースにつき合って、食べ続けるのは危険だ―――。

 

 

こうして、僕は生活の中で甘いものを強く意識するようになった。
ダイエットを進めつつ、一方で、出来るだけ賞味期限切れを出さないように。どのタイミングで、どの甘いものを食べるかばっかりを考えている。
ご飯を少々減らしてチョコ1個。パンのフィリング代わりにチョコミントアイス(猛烈に合わない)。たぶん健康には良くないけど、前みたいに+αで食べるよりはましだ。

 

そんな生活をつづけたある日。
不思議なことに、脳は甘いものを避けるどころか、よりピュアな甘いものを求めはじめた。まるで古今東西のグルメを味わいつくした美食家が地元の定食屋へ行きつくように、ノスタルジックピュア甘味を嗜好したのだ。

その頂点に君臨するのが何を隠そう、

 

 

水飴だ。

 

子供の頃、なぜか知らないけど僕はこの食べ物に執着していた。台所で小瓶を見つけると、無性に心を躍らせたものだ。

母はなぜかごくたまにしか買ってこなかったし、僕も「買ってきてくれ」とせがむことはなかった。子供心に高級品だと思っていたのか、なかなか手に入らないから良いんだとドM心を発動させていたのかは分からない。

 

友達同士で10円玉を持ち寄って買う、駄菓子屋の水飴はちょっと違った。短い割りばしみたいのが2本刺さってて、ねりねりするやつだ。赤や緑の変な蛍光色で、練れば練れば練るほど白濁してしまう。その濁りの分だけ、ワクワクも消えてしまうような気がした。

やっぱり、瓶やパックに入った透明のが至高だ。表面を写真に撮ったら反射して身バレするくらい澄んでいるのがたまらない。

スプーンに張った小さくて丸い海を、舌先が柔らかに貫く。舌を丸めると甘みがサーフィンを始める。液体と固体のあいだ、他に似るもののないスピードで消えていく儚げな味わい。水なのに飴、の反発。みずとあめ、の融和。

あれはまさに夢の食べ物だった。

 

思い立ったのは22時40分。
最寄りのスーパーの閉店時刻まであと20分しかないというのに、僕はすぐに玄関に向けて駆けだしていた。

カゴも持たずに売り場へと駆け込む。水飴がどのコーナーにあるのかなんて、考えたこともない。飴のコーナーにはない。ジャムの隣にも、ない。あいつの仲間が全く浮かばない。
やっとのことでそれを見つけたのは、閉店の音楽が流れ始めたころ。片栗粉と煮干しの間に挟まれて、景色に同化するように、透明な面持ちでたたずんでいた。

 

180円。
僕のディーバは想像するよりもずっと安かった。
コーナー名は「調味料」。言われてみれば本業はそっちなのかもしれない。そうか、だからうちの母も頻繁には買ってこなかったのか。

僕が水飴を甘味として見ていたというのに、彼女は料理の途中にパクッと食べさせる、ただの余興だと思っていたのだろう。

 

そんな風に過去の謎を解き、家に帰るとさっそく実食。
本蓋を外して、中敷きを外す。肝心の飴がぐいーっと伸びて2割くらいもっていかれて不安になる。

気を取り直して、もしかしたら30年ぶりくらいかもしれないその味は…
.

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まごうことなきブドウ糖

想像以上にストレートな甘味だった。うわぁガムシロップのウォーターベッドやー、と言いたくなるくらい。

大人になって再会した夢の味は、思ったよりもシンプルなものだった。駄菓子屋にあるものがこの世のすべてだと思い込んでいた子供のころと比べたら、仕方のないことなのかもしれない。

救われたのは、あの魔法のような食感が健在だったこと。
唯一無二の瑞々しさで、乾きかけた心を満たしてくれた。

 

変わるもの、変わらないもの。それでいい。

 

飯島直子だってそうだ。

同じ地点における飯島直子、たとえば1995年の飯島直子でも、リアルタイムで見た昔の飯島直子といまみる昔の飯島直子はは印象が違う。そんなの当たり前だ。その中にも今なお感じられる飯島直子ならではの魅力があり、飯島直子飯島直子で常に変わり続けている。

僕にできることは懐古するだけではない。
きっと、いましか感じられないことがあるはずだ。

 

目をつぶると、幼い日にすくった水飴がキラキラと光る。
もう一度目をつぶると、飯島直子が海辺で「だーいすき♡」とつぶやく。
どっちもとってもつややかだ。

 

飯島直子さん、この度はインスタグラム開設おめでとうございます。

https://www.instagram.com/naoko_iijima_705_official/