眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

僕と妻の眠眠(Min-Min)な関係

「買ってきたよー」
テーブルの上には、行列のできる目白の洋菓子店・エーグルドゥースの袋。
妻はバレンタインの大仕事を終えると、すぐにふとんにもぐって眠ってしまいました。

年度末を控え、最近の彼女は破茶滅茶に疲れています。
平日は、家に帰ってからいかに最短距離で眠るかに終始。土日は軽く10時間以上眠ります。
これぞロングスリーパーの宿命でしょう。

 

かくいう僕も負けじとよく眠るので、おのずとシナジーが生まれます。
昼前に目を覚ましても、横にまだ寝てる人がいるので、「ヨシ」と安心して眠りを続行してしてしまう。
ダメで幸せな時間がゆっくりと流れています。
40歳を超えると眠れないって噂、あれは一体なんだったんだろう?
というくらい我が家では眠りがずっと流行り病。

夫婦は「お金の価値観」や「笑いのツボ」が合うといいなどと良いますが、うちの場合は同じかそれ以上「眠りのツボ」が大事です。
休日に寝てるなんてもったいない!と早起きを強要するような相手なら、怖くて数ヵ月で逃げ出してしまうでしょう。

 

さて、『眠り姫』といえば、子どもを授からない王と王妃の物語として描かれます。
うちの夫婦がこんな風に暮らせるのは、当たり前ですが、子どもがいないからこそ。この辺の話題は話す側・聞く側ともに構えてしまいがちですが、ぜひ肩の力を抜いてご覧ください。

 

うちの場合は、子供がいないことに特段の事情はないんです。
お互い「いつかは必ず」というタイプじゃなかった。
僕がニートだったせいで婚期が遅れた。
妻も結婚を焦ってなかった。
お互いの生まれ育った環境もあり、全体にゆっくりだったというだけ。
不妊治療の類も一切してません。

もちろん、子育て中の方と接していると、
「僕にもそういう世界線があったのかなあ」と想像することくらいはあります。
特に、前職でさんざん迷惑をかけられた後輩くん(参考記事:電話嫌いな同期社員の言い訳がレインボウ )には色々と考えさせられました。

デリカシーとは無縁で、いじられ、いじめられた彼が得た最愛の妻と子宝。自慢して回りたい気持ちはわかります。
初対面で彼が僕にかけた言葉は、
「へー子なしなんスねー。でも、今はそういう生き方があってもいいと思いますよ」

その言葉にはいつも、”自分は成し遂げた側”のニュアンスがにじんでいました。僕はなぜ自分が励まされ、許されるように言われるのか、理解に苦しんでいたのですが。


ナチュラルに生きてきた身としては、わざわざ子どもの有無で分類されること自体に違和感があるんです。夫婦は夫婦じゃん、っていう。短髪で刈り込んでるだけで薄毛を気にしてないのに、「毛なし男」とか言われ、急に「ワカメ食べるといいらしいですよ!」と言われても困るじゃないですか。

 

今回こういうテーマを扱うので軽く調べましたが、まあ子どものあるなしをめぐる論争は色々とおぞましいですね。
「子なし」のサジェストで開幕「みじめ」って出てくるし(笑) 

子の生誕は古来より国家の行く末に関わるテーマです。民衆の関心が高くて当然。僕みたいにぽやーんとしてる方が珍しいんでしょう。

片方は劣等感を晴らす言葉を。
片方は多忙な日々のストレスを正当化する言葉を。
お互い、これまでの生き方の価値が試されてるから、体重の乗り方が半端じゃない。
交わらない文化同士の境界線では、どうしても紛争が起きてしまうのかもしれません。


まあ、ともかく僕ら夫妻は今のカタチで無理なく成り立ってます。

妻は僕と天井を見つめて話す日々について、
「私、やっぱり眠るのが趣味なんだー。こうしていると幸せ」
とつぶやく。
そんなとき僕はもちろん「飯つくれ」とも、「いつまで寝てるんだ」とも言いません。むしろ快眠を促すためにマッサージと、眠りの効果を高めるプレゼントを贈ります。

眠りが大好きな妻に、好きなだけ眠れる人生を。
これはこれで、人生の伴侶として与えられた立派なタスクなんじゃないかと思ってます。
彼女がよく眠れれば、僕もよく眠れる。
眠眠(Min-Min)の関係、というやつですね。

 

これを言うと、
「子どもがいたら眠りも惜しまないくらいの生きがいができるし、もっと大事なものを手にすることができる」
という人はいるでしょう。
もしかしたら、僕の言葉をただの僻みととる人もいるのかも。

でも、そうじゃないんです。
子育てすることも、一人で生きることも尊いこと。
僕らがナチュラルに行きついたのはただの夫妻であり、別に子なし夫妻でもない。
このわがままなニュアンスをくみ取っていただけると嬉しいです。