眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

Run for Sleep ~さあ今年はなにを学ぼうか~

 

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

初夢、ガッツリ見ました。

「アフリカに単身赴任してランチに出かけたはいいものの、職場の住所を覚えていないので帰れないし、言葉も通じないので迷子に。サバンナを見下ろす断崖をそろそろと歩いていたら偶然通りかかったスーツ姿の日本人とすれ違い、慌ててLINEを交換する」
という夢だったのですが、これってワンチャン吉兆あります?
一富士二鷹三茄子…で何アフリカなのか気になるところです。

 

夢ってなんであとから思い出すんでしょうね。内容のインパクト関係なく。

妻「大友康平って鼻大きくなったよね」
僕「たしかに。東南アジア系というかなんというか。マニーパッキャオと馳浩も鼻は全然違う」
妻「そういえばこのあいだフランス人のお客さんが来たけど、ツンと高くてきれいだったよ。神さまの造形って凄い」
僕「鼻のカタチも色々あるな。アフリカ人の人は鼻も大きいし、鼻の穴がしっかり開いて…あっ!」

という会話の中で、突然初夢を思い出してしまいました。

 




話は戻って年をまたいだばかりの午前2時。
毎年恒例の、元旦全力ダッシュを終えてきました。

最寄りの神社には長蛇の列ができていて、小さなお子さんもちらほらいるのにびっくり。自分がヒトケタ代の子供のころ、そんな時間に起きてたことあったっけなあ。キャッキャと騒ぐ若者の脇をダッシュですり抜けると大晦日ダイヤの山手線が僕を追い越そうとしたので、加速して並走してやりました。
人間、何歳になってもこんなもんですよ。

 

ニート時代、30歳を超えて走り始めたのは武井壮さんの動画がきっかけでした。

「30分でも時間がない日なんてないんだから、毎日やるんだよ」

そんな風に語りながらルーティーンをこなす彼の姿がとにかく眩しかった。
前傾から徐々に加速して、瞬く間に小さくなっていくフォルム。中年は中年に励まされるみたいな情緒的次元ではなく、生き物として憧れました。さすが百獣の王。
以来、気持ちはだらけてもカラダだけはいつでも動く状態にしようと決めました。

 

最初はすぐに疲れてしまったので、とにかく楽に走れるよう勉強しました。必然的に呼吸や骨格の知識を経由し、最終的にはいかに日々の歩きを意識的に行うかというところに到達します。

呼吸、姿勢、歩き。頭カラッポでやるからこそ元凶になりやすいポイントに、のびしろの概念が生まれました。通勤中にお腹をへこませるドローインをしてみたり、ギュッと背筋を締めて歩いてみたり。軽い動作の中にも、うまくできる時とできない時があったりして、思いのほか退屈には感じなかったんです。

むしろ、次に走ったらどのくらい変わっているかワクワクする。
あっという間に会社に着いてしまうようになりました。

 

僕は、これを「学びと効率の真髄」と呼んでいます。
早く結果を出したいから、単調な作業が楽しくなる。スキマ時間がチャンスに思える。力を発揮できる本番が楽しくなる。この状態にすればしめたもの。
人間、腰を落ち着けてガッツリ努力するなんてよほどの勉強家じゃないと辛いので、日々の動作+αの”ながら”でできたほうがいいんですよ。たぶんだけど。

 

で、もうひとつ大事なのが、これを努力のための努力にしないことですね。
僕の場合、軸足は断固として「いかに毎日よく眠れるか」に置いています。学ぶのは大事だけど、あくまで眠るためのおまけ。

今日を適度に学べば、適度に疲れてよく眠れる。
今日よりほんのちょっと明日が楽しみなら、夜更かしせずおとなしく眠れる。
気づいたら昨日より勝手に育ってる。

適度っていうのが肝です。あくまでよく眠るために学んだり、走ったりしてる。仕事で全部出しきってるなら何もしません。

 

というわけで、今年もこの「寝る子は育つメソッド」でやっていこうと思います。
うさぎの睡眠時間は8~12時間!