眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

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40歳を過ぎて分かった、大人になるということ

今年もM-1が無事終了しまして、ウエストランドが優勝となりました。
僕はもともとYoutubeでお2人のラジオを聞いていたのですが、優勝っていうのは全く予想していなくて。

「うわー井口君本当にやっちゃったよ…」
と、身内感満載で感動してしまいました。

毒舌ネタなので多少の誹りは免れないでしょうが、とんでもない苦境を乗り越えている方なのでノーダメージでしょう。

 

ファンの方には申し訳ないですが、決勝に残った残り2組のうちさや香が昔から苦手でした。新山さんの風貌や態度にスキがなさ過ぎて、”できるサラリーマン”にしか見えない。ボケる姿が無理しているように見えてちょっと恥ずかしいんです。
5年前の敗者復活戦で披露した伝説のネタ”からあげ4”はその極致。基本「か、ら、あ、げ、4!」と叫びまくるやつなんですが、これでいよいよダメになってしまいました。今回の大会では、頼むから普通に、できれば可愛くやってほしいと思ってました。

だけど、恐る恐るM-1を観てみると
「あれさや香面白いぞ」と拍子抜けするくらい無理なく向き合えてしまいました。優勝しても全然納得できるくらいだった。

その時ふと、自分が大人になったなと痛感したんです。

 

大人になる、っていうのは「落ち着きがある」「つまらない妥協」の両面で使われるから定義づけが難しい。30代まではどっちかというと後者の方で見てました。

ただ40代を迎えると、
自分の好みではないものも受け入れられる
と変換して、良い面も悪い面も腑に落ちるようになってきた。

みんなちがってみんないい。と言葉でいうのは簡単ですが、実際はすさまじく難しい。現に僕もそのエッセンスを掴むまでに40年かかってしまいました。大好きなゲームの続編が希望と違ったら憤ってみたり、亀田三兄弟なんて本当の世界チャンピオンじゃないと言ってみたり。

10代でも20代でも、できる人は本当にサラッとできちゃうんですけどね。子役あがりの子なんて人生5周目みたいな顔してるし。

 

僕が変わったきっかけは、結婚もあるけど、一番は管理職をやったことでしょう。
世の中には努力ではどうにももならないレベルの向き不向きを目の当たりにする。細かすぎて目視できないレベルの瑣末な相談にのる。そんなことをしてたら、話相手がちゃんと人間だと思えてきた。もちろん哺乳類サル目ヒト科ってことじゃなく、その人にも家族や友達がいるんだという意味で。

あと 前に勤めてた職場でいうと、人事部のメンバーとはとにかくそりが合わなかった。女性はちょっと仕事を断ったら無視レベルに態度を豹変させてくるし、男性は点数稼ぎばかりの典型的二枚舌だった。でも、そんな感じ悪く見える女性も普通に結婚。男性はバツイチで大きな息子さんを育てる必要がありました。

僕が合わない人にも合う人はいる。
不条理な言動にも、そうしなきゃならない背景があるかもしれない。

そんな風に、俯瞰で見えはじめました。

 

そうなると何が起こるかというと、自分の行動がうまくコントロールできるようになります。怒っても、「怒ってる感情」をぶつけるんじゃなくて、「怒ってるように見える行動」で示すことができる。たとえ怒ってなくても。形式的といえばそれまでだけど、これが使えると相当楽ですね。

勘違いしてほしくないのは、
「あいつは俺と違うからもう見なくていいや」じゃないってこと。それは大体の人ができるけど、どうしても濃い気まずさがつきまといます。

あくまでちゃんと見るけど、見たままを受け止めすぎないのが大事。

 

たとえば、近所にランチのお店を見つけたとして。

「あんなに有名で美味しいお店に何で行かないの?」とすぐ口にするのが子供。
「あんなに有名なのに行かないんだから、もう飽きたとか口に合わないとか理由があるのかもな」と考えるのが大人。
という感じですかね。

言葉にするとごく当たり前なのに、SNSだとほとんどの人ができないから不思議です。ダイレクトにつながれるのが良さとはいえ、誰かに直接不満リプする時すら下調べしないとか、頭イカレてますよ本当に。

 

もっとも、大人思考は突き詰めすぎると
「自分程度の意見なんて誰でも知ってるよな。素人がブログ書いても意味ないかも」
みたいなネガティブ方向に行きやすいので要注意です。ブログぐらい頭のネジ外して妄想まき散らしてもいいんじゃないでしょうか。

 

以上、最近大人になってきた大人による、ためになる大人講座でした。

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