スポーツでは、本番用の道具の前に極端仕様の代用品をつかって鍛錬することがよくあります。あえて重いボールや長いバットを使うことで、離れたところから中心に近づけるようにジャストの感覚をつかんでいく。練習にもいろんなアプローチがあるものだなあと感心します。
で、そのブログ盤が今回の投稿です。
これは書き手としてどうなの!?ってくらいの、自分の許容範囲ギリギリの投稿をすることで、自分の感覚を確かめていく。なんてマゾい試みなんでしょう。
具体的には、タイトルの通り「心に残ったダジャレ」の話をします。
もちろんとてもくだらないですよ。ただ、僕が日々ダジャレなんて絶対に言わない人間で、だからこそそんな人間にすら刺さったダジャレがある尊さをご理解の上ご覧ください。
…言い訳はここまでにして、寒空に三発ブチあげていきましょうか。
壱発目、さわやかになるひととき
最初にご紹介するのは、”ダジャレ”という概念自体を初めて認知したときの話。まったく縁もない言葉と言葉が中立地点で衝突する。こ、こんな技法があるのか!?と驚嘆した思い出です。
時は1980's。僕はまだ小学生でした。
幼馴染の両親が営む酒屋に、よっちゃんというお兄さんが働いていたのです。たぶん27、8歳だったのかなあ。ベタに前掛けつけて、口ひげで。堀内孝雄から善のオーラを全て奪い取ったみたいな顔をしていました。
よっちゃんはなかなかにふざけた人でした。コツコツ貯めたお金で車を買ったと思ったら、空き地に集まった僕らの前にキーッと横づけして
「ガキども魔法の車だ!ひらけって言ってみな!」
と迫ってくるのです。
まだウィンドウ閉まってるからものすごいシャウトですよ。
僕たちが嬉々として「ひらけ!」と叫ぶと、よっちゃんはどや顔でウィンドウを開けたのです。
これ、若い人はピンとこないかもしれませんが、ウィンドウって昔は手動でレバーをぐるぐる回さないと開かなかったんですよ。なのによっちゃんは両手をパーにしてこちらに見せながら開けたもんだから、僕らは魔法だ!と大騒ぎ。
まあ、肘でボタン押してたんですけどね。最新の車だって自慢したかったんでしょう。
そんな子供心をもった素敵な人でした。一緒にファミコンもやったし。
そんなよっちゃんが、一度だけ怒った時があったんです。
本業の酒屋で重い空きビンを何箱も片付けてる時に、僕らが束になって遊ぼう遊ぼうと何度もせがんだから。リテラシー皆無の昭和とはいえそこは職場ですから、いつまでもうろちょろされてはたまらない。
見かねたよっちゃんは、そこにあったガラス瓶を1本手に取りました。おもむろに振り上げ、恐怖におののく子供たちに向かって叫びます。
コラ・コーラ!
これですよ。笑いはまったく起こらかったんですが、それは面白くないというより状況が飲み込めなかったんですよね。どうやら本当は怒ってないらしいって安心感もあったし。おい、なんか今外国のさわやかな風が吹かなかった?みたいな感じで、目を見合わせたのを覚えています。
とはいえ、今振り返ってみるとわりとちゃんとしたダジャレだと思うんですよ。自分の家業も活かしつつ、緊張と緩和もできている。ただほんのちょっと僕らが幼過ぎただけです。
これが僕のダジャレはじめの一歩。なんかすごいな、でも自分ではやりたくないな。そう子供心に誓ったシーンでした。
弐発目、プロが見せた匠の技
続いてはダジャレの神髄をみた一発。
言ったのはさまぁ~ずの三村さん。ちゃんと考えたボケもできるし、即興も強い。それでいてセクハラ・玉職人みたいなくだらなさを兼ね揃えた職人です。彼のダジャレを聞いたとき、やっぱりプロは格が違うなと思いました。そんなプロの技を説明しちゃうっていうのも気が引けるんですけど、すごさを少しでも伝えたくて。
ある番組で、所ジョージさんが
「このタピオカでダジャレ言える人いる?」といきなり出演者にムチャぶりをしたんです。一同さっそく頭をひねるものの、外来語なんでスッキリとした例も出てきません。ああ間延びしてしまう…と思われたその時、ひとりのプロフェッショナルがさらりとつぶやきます。
タピオカ、タピオカなー。(食べよかなー)
発想力、文字量のムダのなさ、くだらなさ。どれをとっても一級品のそれ。文字だと伝わらない強引さを、かわいさに昇華する演技力。実に最高でした。おじさんの憎たらしさとかわいさって紙一重で、三村さんはその辺のヒット&アウェイが抜群にうまい。
思わず所さんも「いいね!」と吹き出し、大喜利はこの一発で完全に決着がついてしまったほど。スタジオの空気は一気に和みました。
ダジャレにも正解ってあるんだな、と。使いようによっては局面を大きく変える効能に観方を大きく変えた出来事でした。
参発目、追い込まれた御曹司
ラストはリアル友達が追い込まれて言ったやつ。素人がひねり出したからこそ何もかもヘンで、だからこそ妙にツボにはまってしまったパターンですね。
その日、僕たち一行はガラにもなくはしゃいでました。みんな社会人になりたてで浮かれてたんでしょう。飲めないはずの僕もわりと飲んで、柄にもなくキャバクラにも行きました。心も体もゆるゆるにして、新宿駅南口で別れを惜しむ立ち話。
その中に西園寺君という御曹司がいました。世界的大企業に勤めているのに、ちゃんと庶民感覚を失わない好青年です。もちろん自分から一発ギャグを言ったりなんてしませんし、そうそう振られるキャラでもありません。
でも、その日だけは違いました。
もう誰が誰かなんて区別がつかないような酩酊状態だったせいで、誰かが西園寺君にキラーパスしてしまったんです。
そう、なんかダジャレ言って、と。
しかも「新宿にちなんだ面白いのを頼む」とハードルMAXで。
僕の記憶があるのはここからです。
集中線を引かれたように注目をあつめる御曹司。もうとても引き返せる空気ではなさそうだ。未曾有の恐怖とワクワク感。できるのか…西園寺!
でも、そこは流石の上流階級。引き出しの数が違います。ドバイ級のスケールで、僕たちの発想を大きく裏切ってくれました。
いや無理だよー、と軽く左ジャブ。
絶対面白くならないってー、と今度は強めのジャブ。
からの
「ムリムリムリムリ、無理新宿」
瞬間、僕のアゴと両膝の皿が完全に砕け散りました。夜の街の片隅、売れないギター弾きと夜の蝶の喧騒に紛れて、スプレーを吹きかけられた害虫のようにひっくり返って笑い転げたのです。いえ、そうでしょう。分かります。みなさんにはこの凄みが伝わらないってことも。
これぞ悪ノリ×身内ノリ×深夜ノリの破壊力。バキの花山薫が提唱する「握力×体重×スピード=破壊力」にタメはるほどの方程式が炸裂したのです。好青年の口から出る「心中」というダークワード。いわばジャズのスケールアウト。ジャズドラムを習っていた彼だからこそのブルースノートが響きました。
以来、あれほど心の臓にスマッシュヒットしたダジャレに出会ったことはありません。
***
ということで、季節外れのきたねえ花火三連発でした。
ダジャレって新聞の見出しなんかではしょっちゅう使われるじゃないですか。そういう意味では日本人の言語感覚には強くすりこまれているはずなんですよね。リスクが高すぎて、とても自分で使う気にはなりませんが。
って、このテーマで3000字書いちゃうんだから、同類かな。