眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

男子校に完璧な静寂が訪れた日

中学・高校の6年間を男子校で過ごしたものにしか分からない世界がある。

そこはまさに恋愛スラム。
友はジャングルの奥地にある幻の食材を語るように理想の女子を語り、決して旅に出ようとはしない。なにせ先人からノウハウが受け継がれていないので、誰も方法を知らないのだ。”目覚めたもの”は見よう見まねで変な服を手に入れ、恥ずかしそうに近所をうろつくのが精いっぱい。もちろん、彼に声をかける聖女は存在しない。

 

みなが痛みを共有している分、ある種の平和はあったように思う。
早弁する者。思いつくかぎりのいたずらを試し合う者。ウォークマンを聴きながら、手の甲でエアベースをつま弾くもの。漫画やゲームからエロビデオ、官能小説まで、ありとあらゆる属性の議論が交わされた。(僕はだいたい寝ていた)

自主性を重んじる進学校だったので、教師も結果さえ出していれば強く注意したりはしない。たとえベランダにタバコの吸い殻が転がっていても。知的好奇心が震える音。奥菜恵がグラビアのヤンジャンを今誰がもっているか捜索する足音。学問によって節度を身につけた者たちの、節度を持った雑音が常に充満していた。

 

だが、そんな僕たちの教室に、たった一度だけ完璧な静寂が訪れたことがある。みなさんはどんな場面か想像がつくだろうか。

テスト中?

ノンノンノン、それじゃペンの音がしてしまう。毎年数十人の東大・京大合格者を生み出すわが母校は、テスト中ですら知恵の表出音でうるさいくらいなのだ。


その静寂は、もっと容赦のない形でやってきた。

 

あれはよく晴れた初夏の日。Kさんという女の子が教育実習でやってきたときのことだ。子、といっても当時の僕たちにとっては立派な大人の女性のはずだが、誰も彼女に敬意を払うことはなかった。

Kさんはどこにでもいるちょっと色黒の子だったが、なんというか自分を飾ることに不器用そうな人で、独特の非モテオーラがあった。どうしてそうなったのか、生足にサンダルのような靴といういでたち。脛から下にはわんぱくな擦り傷がついていた。

すかさず、変に知識づいた最前列の生徒が
「先生はカンボジアから来たのー?」
とエッジの利いたジョークを飛ばす。

今振り返るとだいぶ差別的ではあるのだけれど…そのたくましい脚が、アスファルトではなく土の生活圏を想起させたのはそう不自然なことではなかった。

 

その質問がちょうどよいアイスブレイクになり、好きなタイプは?スリーサイズは?とと矢継ぎ早に質問が飛んだ。質問者の99%が家族以外の女性と話したこともないはずだが、Kさんの隙のあるキャラクターがそうさせたのだろう。当の彼女はと言えば、うまく返せず困り顔で担任のほうを向いた。
担任は、「すみませんね」と軽く会釈して事態を見守る。

 

静寂が訪れたのはそんな時だった。
攻勢をかけていた生徒たちが一転して追い込まれる事態が起きる。きっかけは、クラスで1%の上位カーストに入るチャラ男の一言。

「先生は、このクラスなら誰が一番好き?」


まるで魔法のようだった。たったひとつの質問で、一方的にいじるだけだった生徒たちが当事者としてのリアルに駆り出されたのだ。回答者が、さっきまで好き勝手バカにしていた存在であるにもかかわらず。

 

(ふざけんなよ…あいつ何聞いてるんだ。でももし俺だったらどうしよう。相手がどうあれ、男としては選ばれて悪い気はしないが、こんなタイミングで選ばれたら晒しものだ。恥ずかしい。選んで、選ばないで、やめて、やめないで――)

 

恋愛カースト最下層の群衆は、未体験ベクトルの承認欲求にふれ、せめぎあった。はたから見ればこの世で最もどうでもよい質問であるにもかかわらず、右のメガネも左の坊主もカチコチだ。まるですべての隣り合った細胞が向かい合い、お互いの手首をつかみあったな膠着。これぞ音のない世界。僕は6年間の在学中に、あれほど窓から吹き込む風の音をはっきりと知覚したことはない。

 

Kさんは持ち前の鷹揚さで、こともなげに完璧な静寂を切り裂く。

 

「それは選べないよ〜」

 

うーん、そりゃそうだ。教育的正答ど真ん中の回答に、クラスのどこかしこからハハッという絵にかいたような空笑いがこぼれた。しかし、いったん極度の緊張を味わった我々は安堵感と同時にこう思う。

 

(しょうもねええええぇぇぇぇ!!!!!!)

 

 

あの日の静寂としょうもなさ、怒りは、いまも僕の糧になっている。
だからこそ、合コンの場で「え~、彼氏なら〇〇君!結婚なら■■君だけどねー」などとしっかり名前を挙げる女の子には敬意を払えるのだ。たとえ、自分が選ばれなかったとしても。「誰も傷つけない大切さ」とは別のラインに、「誰かひとりを選んであげる尊さ」が存在する。

思わせぶりでもいい。「難しいけど、この3人で選ぶなら◯◯君かな」くらいでもいい。そのやさしさの一票が恋愛弱者を議員にのし上げる。そうして生まれた議員が、歪んだカーストを変えていく力をもつのだろう。

 

そんなことより男子校を撤廃してくれ。
言うのは容易いが、世の中は簡単には変わらない。それに地を這ったものにしか分からない景色もある。

僕が見た大学のキャンパスは、まるでショーシャンク刑務所で夢見たジワタネホのようだった。

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最後に、僕がもっとも男子校魂を感じる名曲『ホタルイカの光』を置いてお別れしよう。
大真面目にバカバカしくて、せつなくて、サイコーだ。