眠眠カフェイン

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勉強なんてしても何もならない、は本当か?(偏差値70のボーダーライン)

前回の記事に引き続き、学生時代について書いてみる。

今も「偏差値」という概念があるのかは分からないけれど、僕が行っていた中学・高校は偏差値70を超える進学校だった。計算上、偏差値70=カーストの上位2%ということになるから、それなりに優れていたんだろう。

が、僕自身には自分が頭が良いという実感はまるでなかった。パラメータが記憶力だけに振り切っていたからだ。詰め込み作業すら必要なく、さらっと見た教科書の文字やレイアウトを写真のように把握することができた。中学入試レベルの問題は簡単とか難しいとかじゃなく、「なんか見たことあるのばっかりだなあ」って感じだ。

 

そんなだから、入学後はみるみる落ちこぼれた。学年が上がればだんだんと出題範囲は広がるし、教科書どおりでない応用力が求められる。応用にはクリエイティブを育てる知的好奇心が必要だが、僕にはそれがまるでなかった。
中高一貫校だったこともあり、油断に油断を重ねて、高校2年の終わりには学年で下から10番目のバカに転落した。

偏差値70の世界はかくも息苦しく、ナメック星に降り立ったクリリンの気分だった。間違えて取ってしまった<漢文・東大コース>の授業では、周りにいる全員の知識量が凄まじく。「お前、さては漢出身?」と聞いて回りたかったくらいだ。

 

かしこい村の屈指のバカ、という複雑な位置におかれた僕の性格はどんどん歪んでいった。突然授業を飛び出してまっさらなグラウンドでピッチングを始めたり、突然髪を赤や青に染めたり。ギターを始めたのもきっと何かの反動だったんだろう。身体に悪い煙をいっぱい吸って、とびきり素敵なバカになりたかった。

一方、そんな息子の変貌を見たうちの親はわりとファンキーで、無理に何かを矯正しようとはしなかった。「勉強しろバカ」とはいわない。時々、「お前そこまでバカじゃないんだからもったいないだろバカ」という角度の愛ある檄を飛ばしてくれるくらいだ。

浪人が決まった時、僕ともう大学なんて行かなくて良いと公言していたが、親は「予備校にいかしてやる。好きにバンドやっていいから、勉強も1年だけ全力でやってみろ」と言ってきた。

 

そんなロックテイストの指導に僕はその気になって、また偏差値70の大学に入ってしまうのだった。




大学の受験勉強は、
・とにかく好奇心が湧く教科に絞る(英語・国語・日本史)
・記憶力を活かせる勉強法に特化する
で乗り切った。

国語と日本史は面白そうな本を読むだけ。英語だけは特殊だが、文法云々よりひたすら単語帳を反復した。すると、よくわからない長文でも8割以上の単語にフリガナがふられた状態になる。あとは国語と同じ要領で問題を解けばいい。効率厨と化した僕は、たっぷり睡眠時間をとって成績をあげていった。

 

とはいえ中学受験時と同じ轍を踏んだわけで、大学に入ってから苦労したのは言うまでもない。社会学という比較的興味の湧きやすい領域を専攻したとはいえ、とても学問に打ち込む気にはならなかった。はじめて女性の魅力を知り、引き続き音楽をやって、知り合いと本をつくるために文字を書きまくる日々だった。

結局、ゼエゼエ言いながらなんとか卒業したのだけれど、やっぱり偏差値70の世界を泳ぐのには一種の才能がいるんだと知った。知的好奇心と、野心と呼ばれるもの。陸と上空では呼吸法が違うのだ。

 

俗にいう「それなりの学歴」を手に入れたのかもしれないが、僕のメンタリティは完全に”勉強ができない人”のそれだ。なにぜ誇れるのは記憶力だけなのだから、褒められても「円周率が覚えられてすごいね」のように聞こえてしまう。承認欲求も満たされず、出身校への誇りももてていない。

なのに学歴とは残酷なもので、その後の人生では
「若造、勉強だけしても何にもならねえからな」
というセリフを腐るほど浴びることになった。

 

特にバーで働いているときがひどかった。

酔っぱらいの会話なんてワンパターンなもので、
お前大学生?→そう→この辺の大学?→違う→どこの大学?とYES・NOチャートが進み、必然的に学校名開示の流れへ。さすがに「言えません」とはできないので正直に学校名を言うと、狙いすました地雷がドカンである。

 

その時の経験上、僕はいまでも建築現場関係の方々があまり得意ではない。人が隠している釘をわざわざを引っこ抜いて、型番を調べたのち、トンカチをふりかざしてくるのだから。

当時、僕は白か黒か赤かピンクしか色を知らないネイリスト志望の白ギャルと遊んで暮らしていただけなのに、あの人たちは「大学生=勉強だけしてるヤツ」と思考停止して叩いてきた。そのあとに高確率で始まる”中卒のパイセン成り上がり伝説”といい、男のコンプレックスはとんでもなく強烈だと思い知ることになった。

 


僕は本当の意味で勉強のできる人間ではなかったが、幸運にも、勉強できる人へのリスペクトをちゃんともつことができた。
その点においてだけは自分自身を誇りたい。

スマホも、工具も安全装置も、会社を守る法律も。誰かが勉強を重ねて必死にカタチにしたものだ。己が享受する利便性を無視しておいて、ダブスタで釘を刺すなんてバカとしか言いようがない。彼らが請けに請けまくって取った仕事の頂点には、東京大学工学部建築学科卒業のおじいちゃんが仁王立ちしているというのに。

そのおじいちゃんは、簡単に「建築なんてしても何にもならないよ」とは言わないだろう。
そんなわけがないと知っているからだ。

 

この通りいろいろ苦労はしたのだけれど、僕は勉強しない人より、勉強する人のほうが好きだ。
結果は出なくても学ぼうとする人がいい。
皮肉にも、「勉強なんてしても何もならないよ」という言葉が、僕に勉強の大事さを知らせることになった。

そんなこと言ったら、本当のバカになっちゃうじゃん。

 

勉強だろうが、現場作業だろうが、人の努力を否定してはいけないこと。
今後の人生で、今まで言われた嫌味分くらい主張していくつもりだ。

 

念のために言っておくと、うちの叔父は建築士、祖父は大工の棟梁だ。祖父は僕の生家はその手で築き、戦争では前線に赴き橋を直していた。僕は生粋のおじいちゃん子だったし、現場作業への偏見があろうはずはないことだけを書き添えておく。

とはいえうちの祖父は偏差値70の浮気癖をもっていたので、その意味ではロクデナシといえたかもしれない。その話はまた、別のところで。