眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

今日もカッコつけのデッサンを

新しい会社で飲み会に参加したりすると思う
「〇〇ちゃん、ネムヒコさんみたいなタイプはどうなの?」
そんな風に引き合いに出されることもなくなったなあと

野心はほぐれて、下心もくすんで
僕は何物でもなく、落ち着いたオトナみたいな顔してそこにいる
でも、そんな風になったって、実際はいつだってカッコつけているのだ
どう足掻いても”自然体”なんてありえない

 

思えば行動一つ一つで試し続けてきた
自分がいかに格好良く見えるかを
デッサンをするように、適当なタッチで、必死に意図を込めながら

濃くいたいけど、圧が強くなり過ぎないように
別に薄くてもいいけど、存在が消えてしまわないように

 

「変だよ」と言われた線を消して、「ダメだよ」と言われたらまた消して
「変でダメだけど私は好きだよ」の線は残したりして
試行錯誤で、好きなカッコつけかたを学んできただけ

ちゃんと絵になっているかは分からない

 

世の中には一筆で自分のカタチを知らしめる天才がいる
でも、そんなのはほんの一握り
僕はそうじゃないから
自分の書きたい線と、他人の声を混ぜ合わせてきた

 

とろんと座った思春期の眼すら
「笑ったら優しいんだね」の一言で生き生きと、優しくなる
複雑なチャレンジとシンプルな励ましで
人のカタチは変わっていくのだ

 

40年が経った
僕が身を削って描いてきた自分らしさとやらは
確実に核心へと迫っている

けれど、できた絵を俯瞰してみるとどうだろう?
きっと、かつての自分が他人に「自分のことをこう思ってほしい」と願ったものとは大きく違うはずだ

 

僕はボクシングの世界チャンプみたいに
世の中をびっくりさせるような強者に憧れたのに
性格診断したら世の中を混ぜ合わせるような”仲介者”で
他人様の気持ちがほぐれることに喜びを感じている

 

潤滑油だなんて認めるつもりはないが
今さら俺は主人公だと息巻くつもりもない

だからせめて
言葉を、言葉を運んでいる


たくさん間違った線を描いた分
正しそうな絵の描き方は知ってる
こうしたら少し尊敬してくれるとか、くすっと笑ってくれるとか
だからこそ
どこかでこっそり”間違ってるかもしれないこと”がしたいのだ

 

キメキメで間違ってるかもしれない線を描いて
キャンバスを飛び出るほどの言葉を求めて
書きたかったことと同じくらい、書くとは思わなかった言葉を生みたい

 

だから今日も、カッコつけのデッサンを
”仲介者”が求めるという、夢想で秘密のポートフォリオ