アルミパンを購入して以来、毎日のようにパスタを作っております。
ちょっと前にシンプルで奥深い醤油ラーメンが好きと書きましたが、同じ理由でペペロンチーノが好きですね。
とはいえ料理はほぼ初心者。最初は鍋のヘリでパスタを焦がす、火加減を間違えてゆで汁を注ぐ際に小爆発を起こすなどしましたが、最近やっと目立った失敗がなくなってきました。旨味出しにアンチョビを入れたり、ちょっとずつ理想形を探しています。
男の料理と言えばこれだろ!と勝手にチャーハンにこだわってましたが、これ、パスタのほうが断然取り組みやすいかもですね。パラパラ=水分飛ばしを美徳にした料理はどうしても味のばらつきが出やすいし、強火で早く!みたいな感じも忙しくて辛い。その点、パスタはじっくりソースを作れるので、わりと本格的な味になる気がします。
さすがにペペロンだけだと飽きるので他のレシピも仕入れてます。料理動画の言葉遣いっていうのも、なかなか独特。
塩味を「えんみ」と呼ぶ時点でおっ、と一発かまされるし、「塩を振ってあげて、オリーブオイルをなじませてあげて、水気を軽くふき取ってあげて」といちいち恩着せがましいのも気になります。来世でイタリア人に生まれ変わったときのためにパスタ年金でも積み立てているのでしょうか。
あと数億回言われてきたことだけど、トマトとチーズはどう考えてもベストフレンド。
失敗しそうなパスタに、冷蔵庫で果てかけていたセブンイレブンのトマト&クリームチーズカプレーゼを適当にぶち込んだら、途端に生まれ変わったので驚きました。ペペロン推しの僕でも「てぇてぇ…」と言わざるを得ません。日本の戦後を支えた日の丸弁当もそうですが、イタリア国旗って運命的な色合いですよね。
パスタってわりと空き時間があります。
アルミパンの中でふつふつと煮立つトマトを見ていると、毎回トマト祭りを思い出してしまいます。(あれスペインだけど)
あれ、「食べ物を粗末にするな!」と言いたい人には発狂もののようですね。実際は虫食いで使えなくなったトマトを使うようですが、中国で開催したら炎上したり、日本はそもそも開催すらできなかったり、抵抗勢力はそれなりに強いようです。
僕は、それってすごくおごった考えだと思うんですけどね。
別にトマトって食べるためだけにあるわけじゃない。成分を抽出して医薬品や化粧品に使われたり、ただ生っているだけで綺麗だったりする。野菜=食べるためにあると物申すこと自体が、やや思考停止気味に感じます。
生卵でも同様のクレームがあるけど、子供をさらわれた親鳥からしたら「食べものじゃねーよ!」てなもんでしょう。
もっといえば、祭りで地面に散乱したトマトは虫や土にとっての食べ物ですよ。とにかくテレビ映えする専用に品種改良された”味ゼロ・映えMAX”のトマトを「投げトマト」とでも命名したら黙ってくれるのでしょうか。
怒るために知ろうとし、怒るために想像を膨らませる。
そういう人々の反応は危険だなあとおもう今日この頃です。
…まあね、僕は僕でこんな屁理屈ばかり言っていると顔が熱々トマトで血管がアルデンテになっちゃいますんで、今日の所は落ち着いてパスタでも食べますけれども。(トマトには高血圧解消効果があるんですって)
食べることも、人を楽しませることも掛値なく尊いこと。
そこに意図と熱量さえあれば、もっともっと寛大に、僕たちは遊んでみてもいいのではないでしょうか。誰かの食い物にされないよう、フレッシュに生きていきましょう。