「そんなとこで寝たら風邪ひいちゃうよ」
日々諭されるのは、夫婦のだいご味だ。
妻の声が眠たい。とにかく眠たい。彼女と生活し始めてから、脳みそを覆う眠気はもはやアイデンティティ一部になった。
僕は、いまやネットの片隅でネムヒコと名乗っている。
起きてと言われれば起きたい。が、眠い。
「オキテ~」という響きがすさまじく眠いからどうしようもない。
彼女に起こされているあいだの意識は、まるで三途の川で両岸から左右の手を引っ張られているみたいに不確かだ。
しかし、なぜこんなに眠いのか?
原因はいまだによくわからない。妻はそんなにスローテンポで話すほうでもないし、聞いてると脳がマヒするほどの不思議ちゃんでもない。
ネットで調べてみたところ、眠たくなる喋り方の要因は「相手の反応を見ず一定のトーンで喋り続けるから」と書いてあった。でも、これも違う。彼女はどちらかというと聞き手にまわるほうだ。
おそらく、声質からして選ばれしものなんだろう。マイナスイオン的な。イルカ超音波風の。ギリシャの眠りの神、ヒュプノスの血が1/512くらい入っているかもしれない。なんせ何気ない一言が眠たいんだから。
妻の放つ”おはよう”はラリホーであり、“おやすみ”はラリホーマである。
やや高く、地声とファルセットの境が曖昧で、ほんの少し乾いていて、放つ声の粒粒を薄い膜が包んでいるような‥‥その声質を形容するのはなんだかとても難しい。
思えばつき合った当初からだいぶ眠かった。
僕はまだ大学生で、たまに親の車を借りて妻を家まで送っていったけれど、道中が眠いのなんの。
よく、
「運転中は眠くならないように同乗者には起きて話し相手になってほしいなあ」
という人がいるけれど、僕は逆だった。運転疲れしたら、いったん妻をクロロホルムかなんかで鎮めておいて、全力でXの『紅』でも歌いたかったくらいだ。
(しかし妻は律儀に一度も寝なかった)
その声は僕の長年の悩みであり、おそらく癒しであり、大きな謎だった。
もちろん、つき合っている最中は「君といるとなんか眠たい」なんて言ったことはないんだけれども…
ただ、せっかく結婚したわけだし、ブログにも書きたい。
というわけで、結婚後しばらくして僕は思いきって質問をぶつけた。
「ねえ、声眠たいって言われる?」
ソファで膝を折りたたんでテレビを見ていた妻は、突然の質問にも表情ひとつ変えず
「よく言われる」
と答えた。
そこからというもの、出るわ出るわ眠りと悲しみのエピソード。電話先で友達が失神する話。学園祭で校内アナウンスをしたら眠すぎるとクレームが来た話。マナーにはうるさいカタブツ上司が、マンツーマンMTGでグーグー寝た話。
どうやら妻の声は、僕にだけ効き目があるわけではなさそうだ。
何ひとつ解決したわけでもないけれど、思い切って質問した日以来、胸のつかえはすっきりととれた。これからも末永く研究を続けていきたいと思う。
さあ、今日もよく眠ろう。
妻の眠りの舞