眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

音にもたれてゆらゆら帝国

リモートワークをはじめて、無性に外へ出たくなるようになった。
特に最近はやたらと天気が良いので、朝食から仕事のわずかな間に散歩をしてる。急こう配に歯向かって坂を上り、駅へ向かう人たちに逆らって、郊外をずんずん進んでいく。

大きな公園の木々に分け入る。朝の光に焚きつけられたのか、むせ返るような青い葉の匂いが鼻孔をくすぐる。
その匂いは小さなころから見知ってきたもので、過去の光景がいくつか思い出された。僕は木や花の名前をほとんど知らないが、度々こういうことがある。そして、この現象の名前も知らないのに、こういうことが世の中の誰もに起こっていることを知っている。

 

音楽もそうか。

いや、僕にとっては、音楽の方がそうだ。
匂いはせいぜい写真を投げてくる程度だが、音は動画すらアップロードしてみせる時がある。

 

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT『High Time』は、初めてギターを抱えた渋谷の夏色を。
Bonnice pink『Heaven's kitchen』は、先の見えない受験勉強の日々を。
くるり『TEAM ROCK』は、大人になることから逃げた大学の後半を。

そんな体験は、自分がまったく変わっていないことを教えてくれる。懐かしいとか、寂しいとかじゃない。暮らしが部屋の壁に擦り付けた、何かのようなものだ。

 

同世代とこういう過去思い出し系の話をすると、
「最近、そんな感覚味わってないなあ」
なんて言い出す奴がいる。酒をゆっくり置く仕草で、感受性が衰えたからだと言い訳しながら。

でも、下戸だからか(違うのはわかってる)、僕にはいまだにそんな体験が訪れる。
たとえば38歳で前職の会社に入った時。会社から異端扱いされ、気がつけば聴き続けていたYUKIの『僕のモンスター』を今聞くと、裏新宿の狭苦しい路地を思い出す。地主らしき謎の老人と、小さな神社と、町中華べちゃべちゃ🍥チャーハンのおまけつきで。

 

逆に、どんな音楽を聴いても思い出せない時期もある。
たとえば、
・ふられた失意で、意図的に気分に合う音楽を選んでいた時
・仕事に疲れて、せめて大音量の音楽で現実逃避した時
ニートであるという事実にただ打ちひしがれて立ち止まった時
なんかがそうだ。

泣きたい時に「泣ける」と宣う映画を観るように、確かな意図をもってすがった時の音楽は記憶にない。ぼんやりともたれるように、半ば無意識にやるから残る。オリーブオイルに香辛料の風味を移すなら、やっぱり強火じゃうまくいかない。フツフツ染み込ませるから、いつか風が吹いた時に香るのだろう。

 

止まっていてもダメ。
がむしゃらに逃げるのもダメ。
とぼとぼと探し歩くときに、人の心が音楽に移っていく。
それはたぶん幸せの証のようなもの。神秘的な、迷いのリズムのロッキンチェアーだ。今日は、そんなふうに詩的な彦摩呂みたいな名付けをしたい気分なの。

 

リモートワークには新しい音楽が圧倒的に足りない。街を歩かないし、喫茶店に行くことも減ったから。この日々に、自分自身がどんな音楽を得ていくのか。密かに楽しみにしてみようと思う。

.

.

.

最後に、いつもの与太話。
大学時代、始めて車に乗った時には、THE HIGH-LOWS『ミーのカー』ばかり聴いていた。
なんてアホっぽくてすばらしいタイトルなんだ!と当時は激賞し、ガンガン車中に流していたのだけれど、ゆらゆら帝国がもっと前に同名のアルバムを出していたことを知ってショックを受けた。THE HIGH-LOWSには「ゆらゆらさせてくれないか」で始まる名曲・『ロッキンチェアー』もあり、僕の中でこの2組は何かとややこしい。

 

あと、車×甲本ヒロトでいうとこんなのもある。ある日の夜、後部座席をフラット仕様にして、胸部がフラット気味な女性と半裸でセッションしていた時、ブルーハーツの『ボインキラー』が流れて大笑いしてしまった。(Youtubeでもなかなか見つからない曲だが機会があればぜひ聴いてほしい)。
対して、相手の子は僕の胸に小橋建太ばりの汗だくエルボーを打ち下ろしてきたんだけど……よく考えたらこれは今回のテーマとはあまり関係がないかもしれない。

ボインキラーが街で流れたことは一度もないし、別にボインキラーが流れなくてもたまに脳裏によぎる、シンプル強烈な思い出ってだけなんだった。