眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

25時の職業病 ~眠れない、書けない、面白くない~

昔から、1日が25時間だと思っている
僕は放っておくと1時間ずつ夜更かしをして、しまいには朝に眠ることになる
体内時計を戻すために強引に起き続ける”逆・安息日”をつくらなくちゃならなくて
そのおかげでまったく使い物にならない日が生まれる
営業マン時代は、大事な会議で眠って頭をはたかれたりもした

 

問題は世の中に感じる”面白さバランス”が欠落しているところにあった
夜は魅力的な本や動画で溢れて
昼は圧倒的なつまらなさに打ちひしがれる
傾いた天秤が生み出したものは、ひたすらに眠気との闘いだ
僕の20代はそんな風に過ぎていった

 

興味のある仕事に就くか、経済的なステータスを求めるか
30になり前者に舵を切ってから、僕の人生は廻りはじめた
仕事とプライベートの境界線はあやしくなるが
なにより昼が面白くなる
全身を包む白い光に、嘘をつかなくて済むような気がする

 

 

眠れないのと、書けないのはよく似ている
オンとオフでまったくベクトルが違うように見えるかもしれないが
結局、書くのだって、余計な雑味を消して頭を整理する作業だ
とことこ歩いて、風呂に入って、誰かの文章に読み聞かされて
赤ちゃんのスヤァ…と同じように、気づいたらゴールにたどり着く

 

書けるようにするコツと、職業病もよく似ている
僕なら、「ですます調」「だ・である調」「漢字表記」「構成」「トーン」などコロコロ変えて
少しでも別人格になるようにする
これはライター時代の職業病で、処世術
何人も記者がいるメディアに見えるように、と編集長が思いついたせいで身についた

 

だから僕はいろいろ書けるが、日記がうまく書けない
頭の中には小さなネムヒコのペルソナが7人くらいいて
ほぼ日刊ネムヒコ新潮を運営している
日替わりで書き手は変わり
ネムヒコ”なんて法人格も、少しだけ大きな仮面のひとつでしかなかったりする

 

 

うちの母は実験室くらいにコーヒーを沸かし続ける人で
僕はとっくに中毒者、眠れない夜もコーヒーを飲む
身体はカフェインに対してとっくにバカになっていて
営業マン時代、頭をはたかれた先輩に「これ飲んでシャキッとしろよ」と言われた時も
身体はまったく起動せず、ただ慣れない砂糖の甘さに苛まれた

 

でも、そんな優しさのプラシーボ・ターボで僕は生きている
面白過ぎる幕末の志士でさえ、「おもしろきこともない」と名づけた世の中を
昼に空気を読んで、夜は読まずに捨てられた空気を書き
カフェインとカフェアウトを繰り返して
7人のネムヒコと、眠れる夜のビジョンに毒林檎をかじる

 

とことこ歩いて、風呂に入って、誰かの文章に読み聞かされて
赤ちゃんのスヤァ…と同じように、気づいたらゴールにたどり着く
詩に出てくるような星の言葉で、銀河みたいに全部がつながる文章を書きたい
でも、それだけじゃご飯が食べられないから
僕は職業人になり、かえって必然の病に侵された

 

過集中と拷問はよく似ている
天井裏を巨人が踏みしめたみたいなホコリの匂いがして
水の中で目を見開いても、永遠に潤わない目疲れがあって
愛する人の「なるべく早く寝てね」すら耳に入らない
肩懲りは日本の交通網みたいに、治る気もなく発展している

 

それでも、自分を取り戻せる曲を聞いて
子供が太鼓を合わせるみたいに、文字を打ちつけてしまうのであった

 

25時の職業病
その1時間は夢と現実の間、終わらない熱中のための1時間