眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

拝啓、キュウリ様

拝啓、キュウリ様

 

お元気でいらっしゃいますでしょうか。
最後に口づけた日から、早10年の月日が経ちました。

それは、私があなたをあきらめた日でもございます。

 

覚えていらっしゃいますでしょうか。
小学校の給食で、”春雨サラダ”というユニットの一員として現れたあなた。
私は突然の出会いに戦慄しました。

見た目、におい、味、食感。
そのすべてが気障なほど青臭く、とても受け入れ難かったのです。

 

 

食べ終わるまでは席から離れるな!と担任の教師に命じられた私。
まわりが食器を片付け、掃除をはじめても、私は延々あなたと向き合いました。
どこかから聞こえる「美味しいのに…」の声。飛び交うハウスダスト。最前線に取り残された負傷兵のような孤独は、この胸にトラウマを刻みました。

私は虫になりたい。ブーンと飛び去ってしまいたかった。
いいえ謝る必要はありません。悪いのは、昭和の軍隊式教育なのですから。

 

むしろ懺悔するのはこちらのほうです。
青くささの根源が汁気にあると察知した私は、食器の横壁にあなたをギュッと押しつけ、出た水分を空いた牛乳瓶に移すという姑息な手に出ました。

鼻呼吸を止めて1秒、真剣な目でパクリ。
それでも、私には十分すぎるくらい、あなたはあなたでした。
しまいには握りこぶしでポケットに突っ込んだ、幼き暴挙をお許しください。

 

中学生に上がり、給食制度に別れを告げてからも、いたるところでお顔をお見掛けしました。
比較的安価に、カサ・彩り・食感をもたらすあなたは飲食業界のアイドル。
AKBに入っていたら、
「はい、みんなの食卓の食感担当↺」
と鼻声で挨拶したでしょう。

給食を卒業してからというもの、私からあなたに接近することはもちろんございません。
必然的に、出会う時はサプライズばかりです。

たまごサンドにしれっと。恵方巻にこっそり。かくれんぼ上手のあなたは、私の食事に絶え間なく緊張感を与えてくれます。


それでも、私は小学校以来あなたを噛み切ったことはありません。
たとえ居酒屋で死ぬほど笑っていて、適当にポテトサラダをかっこんだとしても、私の上下の歯は「カッ」とあなたの表皮で止まります。まるで座頭市みたいな達人が、本当にいたかもしれないと信じるほど、鮮やかに。

 

そんなあなたと数十年ぶりに真正面から向き合った日。
それは青天の霹靂、なんて言葉がぴったりのまばゆい夏の日でございました。

 

私は慣れないスーツを身体にへばりつかせながら、結婚の挨拶のため妻の実家へ行きました。
もともと緊張する性質ではなく、飛び込み営業などもやっておりましたので、気負わず進めることは容易…のはずが。
そんな心の隙を突いたのは、何を隠そうあなた。
義父母が気を利かせて頼んだ寿司桶の片隅で、6人ユニット”かっぱ隊”を結成して登場したのです。

 

断れない。さすがに、それは野暮ってものです。
娘さんをどんなことがあっても守ります、と宣言するに等しいハレの日に、細緑棒ごときに屈するわけにはいかないのです。

 

とはいえ、どう対応したものかは一瞬迷いました。

鼻呼吸を止めれば郷ひろみみたいになってしまう。
嫌いなものを食べるとき特有の、「顔の上半身は硬直していて口だけむやみに動く」みたいな状態になったら、ラクダみたいできもちわりぃと思われかねません。
マグロと一緒に2貫まとめて食べる荒業も無礼です。

 

私は腹をくくりました。
全てを受け入れようと。

すぅと息を吸って。丹田に力を込めて。
全ての身体の入り口をオールフリーにして、あなたを受け入れると決めたのです。

 

口周りをつかさどる出入国管理事務所と「ヤツを通せ」「いいんですか!?」みたいなやり取りしたのち、唇のゲートを開きます。

駆け寄るあなた。
十年ぶりの口づけ。
草原をバッタが駆け抜けたみたいな味でした。

それでも、私はお義父さんとにこやかに話を続けます。酒を飲むと暴れるらしい、元空手部の義父さんと。これは通過儀礼、これは通過儀礼、これは通過儀礼…と、どこかの原住民の子供なみに思考を停止させながら。

 

たとえつくろったものでも、笑顔で終われてよかった。
そうして私はあなたを完全にあきらめたのです。

もしかしたらいつかは――。
昔は、かすかにそんな思いもあったのだけれど。

 

 

「世界一カロリーが低いんだって。」
アメリカでは、冷静さの代名詞なんだよ。」

あなたの評判を聞くと、なぜか心がうずきます。
私だって、嫌いだなんて堂々と言いたくはないのだから。

 

丸顔と面長で似ても似つかない、メロン様やスイカ様に面影を見て。
なぜか気の合うゴーヤ様やズッキーニ様を、縁の不思議に感じて。

せめてこんな戯言を、冗談みたいに笑い飛ばしてください。
あなたの花言葉は”洒落”。

知りすぎたあまり、そんなことまで知ってしまった、私を笑って。