眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

得意な文字量/苦手な文字量

 

たまには短い文章が書きたい。
ここ数日は2000文字以上の投稿を連発し、みなさまの目を疲れさせている引け目もある。

 

競馬界には短距離馬(~1500m)、中距離馬(~2200m)、中長距離馬(~2700m)、長距離馬(2800m~)といったくくりあるが、馬の脚と同じく、人の腕にも適性という者があるのかもしれない。

ブログ界なら僕の適性は確実に中長距離以上。
少なくとも”短距離人”じゃない。

 

こんな腕になったのは、明らかに書くのを仕事にしてからだ。
依頼された量に対して足らないのは許されないので、色々模索した結果、話すように書く感覚を身につけた。

大は小を兼ねる。どうせ最後には不要部分を削りまくり、体裁を整えるわけで、あらかじめ量を書けるにこしたことはないのだ。ただ個人ブログの場合は文字数制限がないので、その辺がなあなあになってしまっている。

 

ただ不思議なもので、たった140文字しか書けないTwitterを短すぎると思ったことはない。むしろ、結構書いても「まだいいの!?」と驚くくらいだ。

Twitterは”つぶやき”という絶妙なくくりのおかげで、最初から口語モードというか、軽い大喜利感覚があるからだろう。最初からそう割り切れていれば、僕だって短く書けるのだ。

 

 


個人的に一番苦手なのは400~1000文字。
本の1ページがだいたい500文字程度とすると、ちょうど見開きに収まるくらいだ。

日記系のブログみたいに、その人の人柄が分かっていて、「報告」という意味ではちょうどいい量だと思う。一方でエッセイ・コラムとして書くには微妙な文字量だ。

 

出版社でメルマガを担当していたころは、これくらいのボリュームゾーンをまとめるのにかなり苦慮した。ただでさえ短いのに、新刊書籍の宣伝を落としどころにしなくちゃならないことも多々あった。いわゆる”フリ”や”ムダ”がつくれなくて、綺麗にまとまりすぎてしまうのだ。

最近寒いよね。義母から旬のみかんもらったよ。みかんといえば愛媛。愛媛といえば『坊ちゃん』だ。こんな話だったよね。そういえば漱石って名前、正岡子規ペンネームのひとつからとったんだって――

くらいで終わる。
まるで新聞のコラムみたいに、いかにも「へー」としか言えないようなタイミングで終わってしまう。


本もそうだ。章終わりに”ちょこっとコラム”みたいなページがくっついていることがよくあるが、あれで面白いのにあたったためしがない。

日本人はもったいない精神が裏目に出て、とにかく余白を埋めたがる悪癖がある。
街も電車も雑誌も広告だらけ。
編集部も「章トビラの右側空いてるならなんか書いちゃわない?」くらいのノリでやってるのかもしれないが、日本人ならむしろ余白の美しさを知るべきだ。


どうしても何かを埋めたいのなら
「この紙、”ラフクリーム琥珀”といいます。さあ触ってごらん」
と行動を促したり、

「僕の思うインドっぽい日本語ベスト3はマッピルマ、ナンデナン、ダッフンダです」
と聞かれてもないのに発表したり、

「わたしのスリーサイズは上から~、の”上から”って言う必要ある? 真ん中からの人いる?」
と身近すぎる問題提起をしたり。

なにかしら相手の五感を刺激するように使ってほしい。
まちがっても無難な編集こぼれ話なんて載せてはいけない。

 

短文の魔術師、穂村弘さんにしても1つのエッセイに3ページくらいは使っている。
自分らしい空気感を醸成して引き込むには、やっぱり最低限それくらいの文字量はいるんじゃないかと思う。

ということで今日は一応、短距離人