眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

【覚醒】ブログを書く手が止まらない

 

あるブログに紹介されていた本を読んだ。
1956年に書かれた純文学作品。
現代まで読み継がれるだけあって、さすがに圧倒的な筆力だった。

 

それをきっかけに、僕はどんどんと本を読むようになった。

実家から30冊ほど本を持ってきて、昼も夜も風呂も読み耽っている。それらの本には共通点があって、それは「話の筋や登場人物など何かしらを覚えている」というものだ。本も映画もほとんど記憶に残らない僕にとって、それは紛れもない面白さの証左といえるだろう。剣道の面くらいに目の粗いザルですくっても、ごろっと残る宝石のような。

 

やっぱり、何かを書くなら優れたものを読んだ方がいい。”自分の文章”なんてものを考えるより、”自分の好きな文章”を見るべきなんだ。そう思わされた。

良い作家たちの文章はとにかくダイナミックで、遊び心がある。
自分も試したくて身体がそわそわするし、こんなことしたっていいんだよな、という気にさせられる。料理でいえば、道具や、技法や、素材じゃなくて。熱の管理とスピードが抜群に素晴らしいのだ。

 

いまはちょうど重松清の『疾走』を読んでいる。風呂場に持ち込んだらおかしくなりそうなほど、脳内の温度、濃度を高められている感じがする。

昨日おとといの投稿を書き進めている間、タイピングの手がまったく止まらなかった。最近はああでもない、こうでもないと行き来することが多かったのだけれど、それがまったくといいほどなくなった。ブログを始めて約4カ月が経ち、書きたい方向が明確に決まった気がする。

と同時に、昔書いたものを痛烈に書き直したくなった。
書く内容を「ネタ」と呼んできたこと自体もなんか違うし、いろいろブレて見える。
すぐやる気はないけれど、いつか機会があれば大幅に作りかえたい。
それくらい、価値観が変わってきているということだ。

 

ブログの読者が99人になって、なかなか100人に達しなかったのも妙な巡りあわせなのか。
それどころか昨日なんて1人減ってしまったのだけれど…僕も読者登録してから見きれなかったり、少し思ってたのと違ったりで解除することはあるし、何にも言えない。

昨日はセクシャルな内容に触れたから、もしかしたらそんな原因なのかも。仮にそうだとすれば、それがお互いにとっての最適解だろう。僕は今までその辺をわりと遠慮しいしい書いていたけど、もう書ききろうと決めたのだ。エロも、ヘンも、間違いも、すべてを。グロテスクな表現をすることはないけどね。

 

やっぱり、書くレンジは最初から狭めてはいけない。
試して、失敗して、試して、失敗して、残骸みたいなものが足跡に転がって、それが型抜きみたいにして浮かび上らせた像が、自分のカタチというものだ。

 

別に、読んでくれる方にとって、内容が見違えたようによくなるなんてことはないだろうけど…”ネムヒコ覚醒”というニュースだけお目に入れていただければ。あともうちょっと余裕があれば、心の中で「眠いのか起きたいのかどっちなんだ」と軽くつっこんでいただければこれ幸い。