眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

後部座席のロマンス


10歳。
勉強ばかりでひねていた僕は、旅行好きの両親との遠出を苦痛に感じていた。休みがあるごとに車で何時間も移動して、いったい何をしようというのか。寺社や仏像なんて教科書で腐るほど見ているっていうのに。

後部座席を遊び道具でいっぱいにして、小さなライトも買ってもらって。何時間も漫画を読みふける。不覚にも寝てしまって、両親だけがサービスエリアを満喫していることも多々あったけれど、そんな時は僕も無断で徘徊してやった。

よく知らない夜の、よく知らない車の間を練り歩くのが好きだった。

 

15歳。
最後の家族旅行は雪国だった。
この頃になると僕は狂ったようにYUKIの歌声ばかり聴いていて、文字通り話にならなかったんじゃないかと思う。

後部座席は真っ暗。すっかり片付いていて、1枚のCDケースが置かれているだけだった。目をつぶれば曲に浸り、目を開けば一面の雪。思春期真っ只中の心をふつふつと煮立たせるような濃密な時間が過ぎていった。

まもなく僕はギターを始める。

 

20歳。
やっと運転席に座れるようになった僕は、夜になると懲りずに後部座席に飛び移った。外から見える場所を毛布とビニールシートでぐるぐる巻きにして、女の子と2人、裸で過ごす。

大体どちらかがタバコを吸っていた。新しくどちらかが吸いたいときは、タバコとタバコを口移しで火を興す。昼には大学で先進国の最新経済を学んでいるのに、夜は至極プリミティヴな営みに終始する。なんて退廃が爽快だった。

人気のない場所を選んで停めてはいたが、ごくたまにパトカーが見回りに来た。大方、練炭自殺でも疑っていたのだろう。前方からかすかな光を感じると、僕らは虫のように騒がしく服を着こんだ。

後部座席はまたぐちゃぐちゃになっていた。
母親は、「あんたの車に女性ものの下着があったわよ」と笑っていた。

 

30歳。
ニート中で暗中模索を続けていた僕は、大みそか奥多摩の山奥まで車を走らせた。車中泊なんて整ったものではなくて、ただ焦燥に追われただけの時間。

ごちゃごちゃの荷物の間から差し込む、良く知らない朝陽。
ふと外へ出てタバコを吸うのがたまらなく気持ちよかった。

その後禁煙を経て心と身体から毒気が消えた。
仕事をして、結婚もして、体を覆いつくしていた虚無感は消えた。かわりに、一緒に消えてしまった冒険心に一抹の未練を感じている。

理想と淀みを詰め込んだ、後部座席はなくなった。

 

40歳。
いまの僕には車すらない。
晦日には格闘技を見たあと、いまあるだけの全力で街を駆け抜けるのが恒例行事。人力で走馬灯みたいに流れる街あかりは、あの日ウインドウから見た光に似ている。

生きてる手ごたえは十分すぎるほど疲れるし、山手通りはいまだ眩い。
でもなぜだろう、どこに腰かけても座りが悪いのだ。

ロマンを捨てて安住とやらを求めるのか。
虫嫌いを押し切って、ソロキャンプでも始めちゃおうか。

いまだ未来を決めかねているところである。