眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

裸眼と宗教のブルース

僕はほぼ無宗教です。厳密には仏教徒ということになりますが、各種の行事に、生活の制限や心から沸き立つような使命感があるわけじゃありません。

こういうのってわざわざ公表する機会もなかなかないし、だからこそブログらしいと思って書いてみることにしました。専門家の方は軽く流していただけると幸いです。

 

 

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僕は宗教を「眼鏡」に近いものと捉えています。そのままで見た世界が自分にとって近すぎたり、乱れすぎていたら、ルールを設けたほうが心地よく見ることができる。度や色彩矯正の強さは宗教によりさまざまですが、僕を含め一般的な日本人がつけているのはせいぜいブルーライトカット効果くらいのものでしょう。

 

そんな”時々ダテメガネ勢”の僕からすると、もっと度の強い眼鏡の効果は大きく2つあると思っていて。

・真実が多様化する
もしも目の前に人間の遺体があれば、生物学的には「死」「終わり」を意味します。でもレンズを通せば、「魂は来世に向けてさまよっている」と発想が広がる。

・選択を容易にする
1万冊ある本の中から好きなの選べって言われたら大変だけど、宗教上、10冊しか読めないとなったら楽。それが生活じゅうに及べば、おのずと帰属意識は強まります。

前者は「救いを与える」、後者は「迷いを取り去る」とかそういう風に言語化されることが多いですね。たしかに、うまく心になじめばとっても生きやすくなるでしょう。

 

でも、宗教上のルールはどこかの誰かが決めたもの。自らの視力や色彩をそうした外部パーツにゆだねるには、それ相当のリスクを覚悟する必要があります。

 

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2022年には日本国内でも宗教をめぐる凄惨なニュースがありました。今も昔も、世界中で人の生き死にをかけた宗教紛争は続いています。

人には、ちょっとした気晴らしやクスリでは受け止めきれないものがある。世界が見えなくて辛い時、ふと眼鏡をかけたら視界が開けた。専用ケースに入れて、毎日つけて暮らしていたら、愛着は募っていくのは当然のことでしょう。人がそれをイロメガネと呼んでも。時にそのケースを、メーカーが法外な金額で売りつけていたとしても。手放すのは容易ではないのでしょう。

 

また忘れてはいけないのが、信者が集団であるということです。味方が「人には慈悲をもって接しろ」という教義を無視して他教徒をぶん殴っていたりすると、もう訳が分からなくなります。「それアリなのか!」と勘違いする人、「ダメだよ!」と諭す人の間でも争いが起きる。そして、なぜかそのフラストレーションがすべて他教徒に向かったりする。

そうなればむちゃくちゃ。眼鏡が叩き割られて、外れたことにすら気がついていないとしても、エネルギーだけが走り続けていくのです。絵面を想像するとちょっと面白いですけど、もちろんリアルは笑い事ではありません。

 

宗教と暴力性が近いのは皮肉。そしてそれを許してしまうのは悲しすぎる。

紛争で下半身を失って、かろうじて命だけはとりとめた息子を見て、
「神様、ありがとうございます」
といえる気持ちはやっぱり分からない。
だってもともと、やらなければ。

 

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さらにさらに、信者がつねに純粋な存在とは限らない。特に芸術家界隈は、巨大な宗教に入信しておけばコンサートの集客が保証される、といった互助会目的の打算があったりもします。人が集う以上カネが動くということですね。

果たして現代の信者が集うことなしに信教を続けられるのか。
それ、ご神体じゃなくて隣の人に恋してない?っていう。

「人は独りでゴスペルを歌い続けられるのか」なんてテーマも興味深いところです。

 

あえて少し宗教からズレた比較対象を挙げると、憲法第9条をめぐる論争も興味深い。SNS等を見る限り、「あの条文の文言が1文字でも変わったら戦車が動き出す」くらいに強迫観念を抱き、金科玉条と崇める人はたくさんいます。

それが発案者すら定かではなく、翻訳されたものであっても。一部ではまるで神様が発した言葉のようにかたく信じられている。こう見ると、大元がなんであろうが人が信じればそれが真理、という逆説的なことを考えてしまいます。

 

…といろいろ考えても分からない。
分からないけど、僕はやっぱり宗教を否定しません。

僕だって今後入信しないとは限らない。もっともそのモチベーションは、「神様に会いたい!」ではないでしょうけど。

たとえば最愛の妻を失ったら、ちょっとした空き時間、言い換えれば「自由」がとても辛くなるはず。気力がなくなって、ただ決められた仕事だけをしたくなるかも。そんな時、新聞読んで→集会言って→読経して→写経して→みたいに行動パターンを決めてもらえたらとても安心感があるはずです。

まあ今は幸運にも妻がいるし、しばらくは裸眼で散歩してみようと思いますよ。
左0.2、右1.0なんて歪んだ人間ではありますけれどもね。