眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

もう2度とTVには出ないんだから


数年前、テレビに出た。ちょっとした街頭インタビューとかではなくガッツリ30分(17~20時のどこか)。しかも全国放送。街ブラだってある。特定防止のため詳細は伏せるけれど、ライターとしての出演だった。

最初はちょっとした怖いもの見たさ。ところが、ちょっとした行き違いの連続でプレッシャーはみるみる肥大していった。

このブログを見てわかる通り僕は生粋の雑記人間である。それが、あるジャンルの「専門ライター」の体で出てほしいという話になったのだ。しかも”日本有数”なんて尾ひれもついちゃって。まあ、そのジャンルも多少は書くからすべてが嘘ではなかったが…あまりに恐れ多すぎる話だった。

 

そして、ここからが本当の地獄。
制作会社の希望で、「本当は専門家じゃない件は伏せてほしい」と釘を刺されたのだ。しかもMCのタレントさんだけじゃなく、他の出演者や、テレビの撮影クルーにも。テンションが下がるから、というのがその理由。

最初からそれを言われればきっぱり断るところだが、もう出演の承諾もして台本を渡された段階である。グラビアアイドルが勢いでビキニをはらりとほどいてしまうのは、きっとこういう同調圧力のせいだ。大人たちがたくさん動いているという事実は予想以上にエグい。


出演前日、文字通り僕は布団にくるまっておびえていた。妻もさぞかしびっくりしたことだろう。

台本があるとはいえ「ネムヒコ答える」としか書いていない箇所も多く、かなりのアドリブ力が求められる。また番組自体は30分だったが、ロケ予定時間はまるまる1日を予定していた。そんなの長すぎて無限に感じてしまうかもしれない。

さらに悪いことに、MCのタレントさんはそのジャンルにかなり詳しいことで有名だった。心落ち着ける休憩時間にすらフラッと近づいてきて質問攻めされたら、とても正気を保てる自信がない。

せめてもの抵抗として、出演前2日は有休をとって図書館に缶ヅメになった。
それでも、怖い。

 

最近こそ威光が消えかけているとはいえ、僕の世代はなんだかんだでテレビのチカラを刷り込まれてきたんだろう。でなければ、あんなに怖いはずがない。このオファーが来る前は「一生に一度くらい出てみたいなー」とか浮かれていた、心の中のリトルネムヒコをぶん殴ってやりたくなった。

 

 

 

そして、いよいよ当日。撮影クルーもタレントさんも段取りごとで忙しそうにしていて、実際はそこまで雑談できるような暇がなかった。あまりに手持無沙汰なら、同じような立場で呼ばれた人(違うジャンルの専門家)と絡めば安全だ。

カメラが回っている間は、頭いっぱいに詰め込んだ引き出しのアウトプットに集中した。想定質問を10個くらい用意して、それぞれ4~5個のトリビアを用意していたのだ。中には有名すぎるものもあったが、そこはMCもプロ。「そんなの知ってますよ」とはもちろん言わず、「あ!それちょっとだけ聞いたことあります」みたいな感じでうまく展開してくれる。

話題がちょっとでも手に負えない領域に入りそうなときは、「諸説ありますよね。ちなみに〇〇さんはどういったお考えですか?」などと先手で質問してやり過ごす。窮地が人を成長させるというか、この時だけは頭が冴えて、名うての結婚詐欺師になったような気分だった。

 

どちらかというと、キツかったのは自分の白々しい演技のほう。

たとえばロケ地で目的の建物についたとき、
「ほらみなさん見てください、あそこが目的のお店ですよ!」
なんて元気よく言わなければならないのだ。しかも1回では決まらず、計5回くらいやらされることもあった。たぶん防衛本能が働いているんだろう。声を張ろうと思っても、喉の締り方ったらないのだ。

当然、演劇の経験なんてあるわけがない。顔から上が青くなってるんじゃないかというくらい、自分の大根加減が手に取るように分かった。このやりとりを2回くらいやっただけで、テレビは出るもんじゃないという興覚め感に襲われ、後悔が致死量に達していた。
いままでCMで棒読み演技をバカにしてきた、すべてのアスリートに謝りたい。


ずっと逃げ出したいようなプレッシャーの中、撮影が終わる。
完全に嘘をついているわけじゃないけれど、自分を飾って生きるのは想像以上に苦しい。考えてみればタレントさんはずっとこんな感じなんだろう。キャラを演じて、望まれる回答をして、時に”自分はそのジャンルに詳しい”という体をして。演者になるっていうのはとてつもなく大変なことだ。

これを”やらせ”と呼ぶのはカンタン。ただやってる側からすると、”とんでもなく疲れるボランティア”という感覚だった。

 

 

 

無事放送されると評判は上々。ネットにもちらほら自分の実名が書かれていたけれど、それには意外と怖さを感じなくて、自分は何かを演じることに怖さを感じていたのだとあらためて痛感した。


一番の収穫は、妻の親戚および職場のみなさんの信頼度が上がったことだ。なんというか、こっちが引いてしまうくらい盛り上がっていた。

当時はまだ結婚して間もない頃だったので、僕の姿を初めて見たのがテレビを通してという人も多かった。特に年齢が高いほどテレビの影響力が大きく、「あの有名な旦那さんに会わせて」といった話も相次いだ(講演会の要望は冗談と判断して断った)。削った身のボリュームに見合うかは分からないけれど、それなりに見返りもあったと思う。

 

人間、誰でも、自己顕示欲がある。だからこそ、僕もこうしてブログを書いているわけだけれど、テレビに出るなんてのはまったく不相応だった。根が出たがりでない人間には、野球中継にひっそり映ってワイワイやるくらいがちょうどいい。もちろん、またオファーがあったら絶対に断る。


あと興味深かったのは、僕の職場の同世代は総じて薄味の反応だったこと。まあ会社を背負って出たわけじゃないから当たり前かもしれないけど、広報や人事といった、広告宣伝の大きさを実感している部署ですらそうだった。妙な対抗心によるものなのか、逆に事の大きさを受け止められないのか。理由はよくわからない。今現在におけるテレビの価値が半端で、捉えづらいという心の動きは少なからずあるような気がする。

一方で20代の子たちは、テレビ出たんですか!凄いじゃないですか!あのタレントに会ったんですか!みたいな反応。テレビの価値をあまり感じない世代なのに、しこたま騒いでくれてなんか嬉しかった。


ADさんは噂通り何日も寝てない風。素人なんてモノだってくらい雑に扱ってくる浮世離れした人種だった。ちなみに出演料(名目は協力費)は「大人がギリ喜ぶおこづかい」ってくらいです。