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東京人はなぜツッコミを怠るのか

前回に引き続いて東京をテーマに。
僕はこれまでに3社、関西本社の企業に入った(京都、大阪、大阪)。東京人のわりには、関西人と触れる機会が比較的多かったように思う。

そこで、標題のテーマである。

「今のはツッコむとこやで〜」
みたいな指摘を関西人からとにかくよく受ける。

 

勘違いしないでほしいのは、それがボケだとは認知しているってこと。僕もお笑いが好きだし、M-1の準々決勝だってチェックしている。彼彼女らが何を欲しているのかはよく分かっているのだ。

でも、できない。
どうしてもできない。
頭で分かっても、細胞レベルで身体が反応しない。

 

そこで今回は、なぜ僕ら東京人がツッコミを怠るのか、あらためて考えてみた。気になる関西人は東京人の一例としてぜひみてほしい。

 

 

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キーワードは「ナゾの鳥」

まずベタなやりとりを思い浮かべてみよう。
当時勤めていた会社の社長と、関西本社でこんな会話があった。

ネムヒコくん、もう東京もだいぶ暑いんか?」
「ヤバイっすよ。東京支社はもうみんなバテてます」
「そうかー、でも今くらいでへばってたら8月には溶けてなくなるやろ」

まあ、さりげない小ボケである。
関西人からしたらこんなもの数のうちには入らない。

この場合、東京人はだいたい気づかないか、気づいても愛想笑いで受け流す。
そして、

‥‥‥‥🐥

とナゾの鳥が部屋を通ることになる。

 

この鳥を捕まえたいのが関西人で、早く逃げろよと祈るのが東京人だ。小ボケを投げつけたいのが関西の罪、それを打ち返さないのが東京の罪である。
しかしなぜこんなことが起こるのか。

東京人は笑いに興味がないんだろうか?

 

東京にもボケとツッコミはある

いやいや、東京人だって人を笑わせるのは好きだ。

商店街でおばちゃんが
「はい。じゃ500万円ね」
と実にこなれたボケを投げてくることもある。

もちろんこれに対する受け手の反応は、対関西人のそれと同じ。
「またまたー」みたいな微笑を浮かべて、

‥‥‥🐥

と商店街をナゾの鳥が通って終わりだ。

関西人なら、きっと「いやいやおばちゃん、ジンバブエちゃうねんから!インフレしすぎやで」くらい誰もが朝飯前に違いない。

 

では、東京にツッコミはないのかというと、実はそんなこともない。
カギとなるのはボケの「質」。
東京人でも自然にツッコミやすいボケというものがある。

 

東京人がツッコミを入れやすいボケ

実体験をあげよう。
若かりし頃のころの僕と妻が夏祭りに行ったときのことだ。

チョコバナナの屋台の横を通ると、ねじりハチマキの兄ちゃんがこう言った。

「お姉ちゃん一本買ってってよ。あ、でももう一本持ってるのか、彼氏の股間に」

すさまじい直球である。
残念ながらディープな下町にコンプライアンスなどない。

それにする僕の回答は、
「やめてくださいよ、こんなに黒くないっすよ!」
みたいな感じだった。一応ツッコミの類に入るだろう。

 

これは、感覚的に東京人でも言い返しやすい例だ。
やめてくださいよ、というのがミソ。
「放っておくと自分の不名誉、人様の迷惑になるから止めたい」
こういうニュアンスでなら、東京人でもスムーズにツッコミができる。

僕の記憶の限りを紐解けば、ツービートにおける、ビートきよしさんの「よしなさい!」が代表的。その系譜を継いでいるのが爆笑問題の田中さんで、もうちょっと優しくたしなめるのがナイツの土屋さんで、できればやめてがおぎやはぎの矢作さん、という感じ。ほかにも気だるい四千頭身とか以外にバリエーションは多い。

つまり、冒頭に上の方で挙げた社長とのやり取りでも、
「そんなに暑いんやったら氷20kgくらい送ったろか?」
と言ってくれたら、
「要らないっすよ!」とスムーズに返せるワケだ。普通に迷惑だから。「はい、500万円」くらいいかれると非日常が強すぎてあんまり手が出ないんだけど。

一方、こんなボケは苦手

逆に、あまりにも突拍子もないボケや、褒めてくるボケは、特に否定する必要がないから苦手ということになる。

たとえば、
「おっ、東京支社のブラッドピットが歩いてきたで」
こういうやつは、どうしても反応が悪い。

頭の中で「ブラッドピット?なんで俺が?好きって言ったっけ。髪型も似てないし。あっ、これはもしかしてボ‥‥」などとコンマ数秒の連想ゲームをしている間に、
「誰がブラッドピットやねん」
というごくシンプルなツッコミを逃してしまう。

これがブラピでなくトレエン斎藤 さんだったら、
「いや見て、髪あるある!」が出るかもしれない。

ボケ次第で東京人のツッコミは、出たり出なかったりするわけだ。繊細なの。

 

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関西人の笑いは音楽、東京は絵画

関西人はボクシングの亀田三兄弟のように、笑いに関するソリッドなミット打ちを幼少期から繰り返している。そのため、さまざまな角度のボケを身体の反応でリズミカルに返すことができるし、笑いがスムーズに終わらないと気持ちが悪い。

音楽で言えば、曲の終わりにバンドがみんなで飛んでジャーンと合わせるやつ。
あれがツッコミである。実に爽快な終わった感。
な、ん、で、や、、、、ねーん!である。


一方、東京人のノリの良さは、どちらかといえばリズミカルなやりとりより、
設定に乗って探り探り盛りあがるほうに活きる。
漫才よりコントの名手が多いのもそのせいだ。

「今日はどうしたんですか福山雅治さん」と言われたら、
「誰がやねん!」より、
「あんちゅわぁん」と言いたくなる気持ちの方が強い。ただ、それでケラケラと笑いあったとしても、結局はツッコミが不在なので終わりは締まらない。

なんとなく筆が進む方向に進み、適当に色を混ぜて、ぼんやりと終わる。その組み立ては絵画に近い。関西人的にはいつ終わったかようわからんわ!という感じだろう。

 

…とはいえ、訓練を受けていないのだから仕方がない。

東京の大学生なんてひどいもので、酒の力を借りて、普通のことを大きな声で言って、語尾にウェーイとつけているだけだ。途中が盛り上がっている風ならいいという、つまらないバラエティ番組みたいな考え方。鈴木奈々菊地亜美みたいな女性が「え待って待ってー」「言い過ぎなんだけどー!」と騒いでいれば、楽しかった会として記憶される。
不毛だ。大マジメに、東京の教育課程に漫才を入れてみるのもいいかもしれない。


ということで、今回の記事にも大したオチはない。
東京人にツッコミをさせるのは、「関西人側が工夫してボケる」か、「教育改革」が要るくらい大変だってこと。
ぜひ、みんなで未来を変えていこう。

 

で、最後にツッコミについて余談をひとつ。

東京下町を代表する芸人・さまぁ~ずの三村さんは、実は「ちげーよ!」というツッコミをしたことがないらしい。

これを言うと、相手はだいたい「えー、聞いたことあるよ!」と言い返してくる。
でも、
「ちげーよ!じゃなくて、ちがうよ!って言ってるんだよ」と付け加えると、
「ああ、確かに!そっちのほうが脳内再生すごい!」と高確率で良いリアクションをしてくれる。(誰かとお笑いトークになったらぜひやってみて)

”うまい→うめえ””ちかい→ちけえ”はあるけど、”ちがう→ちげえ”は文法的にしっくりこないっていうのがその理由。あんなにパワフルなのにその辺りはしっかり厳密なんて、やっぱり東京のツッコミは繊細だ。