会話の中で「分かる!」をたくさん浴びせられるのが苦手だ。
共感=女性脳とくくられがちだけれど、このフレーズに関しては、男女問わず言う人はやたら言うイメージがある。
前職の人事部にいた男性社員はひどかった。
「若手向けにエクセル研修やったんですけど、普段の業務ではなかなか活用してくれなくて(あるある!)便利とは感じてるらしいんですけど(だよね)新しいフローを試すのを面倒がってて(分かる分かる)結局やる人は教えられなくてもやるし(そう!分かる!)不便さに気づいてもやるかは別問題で(分かる…)こっちも期待しすぎると疲れちゃうから(あ゛~分がる~!)やっぱり(分かる!)それから(分かる!)…」
とにかく一度エンジンがかかると止まらない。
分かられすぎて、こっちが訳分からなくなってしまった。
よくネットで話題になる高速餅つき職人の合いの手みたいだ。彼はもう次に自分が分かるのを予見しているような状態。たぶん僕と話すのが決まった時点で、もう分かるの玉を30個くらい握ってたんじゃないかと思う。
途中で「うんこ!」と言ったらどうなるか本気で試したかった。
それでも彼は、分かってくれただろうか。
もう顔立ちからして”分かる顔”だった。ジャンポケ斎藤さんくらいに眉毛が下がっていて、いつでも眉間にしわを寄せている。どこから悩みを打ち明けられてもすぐに同意できる態勢だ。
僕が相談すれば、いつでも「ネムヒコ君は全然悪くないよ」と言ってくれる。そして別れた後は、会社中に僕の弱点を振りまいて歩く。
「分かる」 という言葉の語源は「分ける」 である。分かりたがる人は往々にして分けたい人だ。彼は人からもらった言葉をすべて自分の心のサイズに分解して、どんどん人に分けていった。
自信のない人だというのはすぐに分かった。だからこそ、相手が放った気持ちが自分の心に入ったことを喜び、その喜びを人に与えようとする。
だけど、それは時に人を嫌な気持ちにさせる。
たとえばWEBマーケティングを担当している僕に、
「Googleアナリティクスっていうのがあるんだけど、今度教えてあげるよ」と平気で言ってしまうようなこと。分かるのは好きなのに、相手が分かっているかどうかは確認しないのだ。どんな状況でも、誰にでも、分けることは良いことだと信じきっている。
そんなの分かってるよ。
彼との付き合いで幾度も浮かんだセリフだが、残酷すぎて1度も言えなかった。
たくさん分かってもらえると相手を良い人のように錯覚するが、結局は自分本位の塊。機械が「分解!分解!分解!分解!」と連呼しているのと大差はない。
あなたの言うことはすべて私の心に入ります。
処理可能な物体です。
あまりに噛まずに飲まれると、とても冷たい受け答えに感じてしまう。
もちろん僕だって、自分をわかってほしいと思っている。
ただ、黒いハートが文化によっては拒絶を意味するように、雑な「分かる」が相手次第に違和感を与えることもあるだろう。
気持ちがつながる時はもっとゆっくりであってほしいのだ。
もしかして同じ?だとしたらとても嬉しい。どれくらい嬉しいかというと…と助走がついて、本題そっちのけで嬉しさの程度語りが始まるくらいでもいい。
自分の気持ちで忙しすぎる10代なら、あーね、それなで構わないのだけれど。
僕は誰かが真剣に話してくれたとき、「分かる」で済ませようとはしない。
ある物事について強く共感できたとしたら、相手の自分の考えがほぼ同じだった事実だけを伝えるより、その中でも微妙に違う面白さや、通じ合えたからこそ得た気持ちにスポットを当てたい。せっかく性質の違う人間同士で話しているのだから。
「全く同意だが、僕にはあなたこの視点はもてなかったので新鮮だ」
「あなたでも同じ気持ちになるんだと思うと、安心する」
せっかく自分の気持ちを伝えるチャンスだ。
共感のすばらしさを、相手と、分かっていきたいと思っている。