眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

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続・ブログのネタ出しを考える(書きたいことは100個あれ)

以前、雑記ブログのネタって意外と難しいって話をしたんですが。

 


僕の場合、今回のブログは気楽にやろうと決めたこともあって、書きたいテーマをまとめたメモが100個くらいになってます。箇条書きでバーッと書いているだけなんですけれども。

 

ただ、すべてがアクティブかというとそうでもなくて。

・いいタイミングでアップしたい(冬の記事なら冬にとか)
コンプラ的に出すか迷っている
・いまはもう自分の意見が変わってしまった
・単純に気分じゃない
・メモの意味自体が分からない

となんだかんだあって、今日書きたいと思える候補は2~3個くらいだったりします。メモの中には「うずらの5兄弟」「ワンモアタンス」「アーモンドなくなっちゃう」なんてのもあって、まったく訳が分からない。
ああ、ひらめきって泡沫。もっと丁寧に書いておけばよかった。

 

まあ、こういうのもある。
だからこそ、常に100個くらい溜めておくのが良いと思ってるんですよね。会社も1人入社させるなら、100人の母集団もっといたほうがいいじゃないですか。中には、一時の気の迷いでエントリーしちゃったのも絶対ありますから。

もちろん、抜群に良さそうな子なら街で手ひっつかまえてそのままデビューさせちゃうのもありなんですけれども、衝動的なものは炎上や後悔につながりやすいので、できれば一回は寝かせたい。過去の自分と今の自分で合議制にするイメージです。

 

それに、”100”ってなんかいいじゃないですか。

YUKIのハイパーかわいい曲『ビスケット』には、
「私があなたを好きな理由 100個くらい正座してちゃんと言えるから」
という歌詞があって。
物事に取り組むにあたり、情熱の証明をするなら100個は軽く出せるもんだよな!って意気込みは持つようにしています。

 

本の編集者時代には、アートディレクターから「いいアイデアが出ないなら100個でも200個でも出さないと」とよく言われました。センスを生業にする成功者でもそうなんだと目の当たりにできたのは、良い経験でしたね。
ましてや僕みたいなもんがセンス一本で勝負できるわけがない。

 


「毎日、その時の気分にあった書きたいことがあるはず」
「思いついたときに更新すればいいわ」

そんなアプローチは美しく、ブログの理想形だとは思いますが…時に書くことへのこだわり自体を吹っ飛ばしてしまうリスクもあります。いつでもいいなら、やらなくてもいいじゃんってなる。個人経営で臨時休業ばかりのお店って、なんだかんだ閉じること多いし。

まずは量を出して、ある程度更新ペースを守るのが、続ける上では結構大事なんじゃないかと思ってます。友達でもなんでも、1つくりたいなら、1じゃなくて100できるかな?の意気込みでやっとくといいんじゃないかなって。

よっぽど、1ミリの打算も入れたくないよ!って人以外は。

 

出すペースもなかなか悩ましいですね。

何を書くか考えるときは、飲食店でメニューを開くように「今日どんなのがあるの~?」とメモ帳を開く。100個あるというのはそれなりに安心感があります。

ただ、ストックがあるからといってペースをあげるのも怖いし、「うまく書けたからすぐアップしたい!」の時も、「こんなもの世に放ってよいのだろうか」のときも、我慢してペースを守りたい。

僕は現在無職ですが、働き始めると(来月予定)文字数のかさむ凝ったテーマは書きづらくなってしまうので、今のうちに優先的にアップしています。そのうち1000~1500字くらいの軽い記事が増えていくんじゃないかなと。
その頃には謎のメモ「アーモンドなくなっちゃう」の意味が判明していたらいいんですけれども。

最近は、書くモチベーション自体だいぶ変わってまいりました。
読者登録は公式に取り上げられないとそうそう増えないし、アクセスといってもSEOとかしっかり考えてないし。

より内省的というか、
「せっかく生きてるんだから全部出しとかないとな。あとはなんとかなれ」というもったいない精神が強まっています。

今回はアウトプットメインに書きましたが、雑念除去には以下のタチバナさんのエントリーがすごく腑に落ちたので、よかったら。