おじさん構文がいじられて久しい。「ヤッホー!元気?(*^-^*)」みたいなあれである。僕はリアルもネットもわりかし真顔でボケていきたいスナイパータイプなので、あんなにこってりとした自己表現ができてすごいなと感心する。
確かにはてなブログを散策していても、自分がおじさんであることを前面に押し出す方が多い。プロフィール欄なんか「アラフィフの自称バイク通(なんちゃって)おじさんです!」みたいな感じで、とにかく言葉にまとわりつく中性脂肪がすごいのだ。
おじさんを誇っているのか、指摘されると傷つくから先手を打っているのか。
真意は分からないけれど。
一方僕はというと、いまだに自分がおじさんだという自信がもてていない。もちろん40歳を過ぎているわけで当然年齢的な自覚はあるのだけれど、ドヤ顔で「そうです、私が」というほどおじさんを名乗れないでいる。
子どもがいないこともあり、お恥ずかしながらまだおじさんと呼ばれたことすらない。でも、不惑でそんなのって異常だ。なんだか社会から気を遣われているみたいじゃないか。願わくば近所の保育園にでもアポなし訪問して、はじめの一歩を踏み出してみたい。
よく巷でいわれるような、食の衰えも体力の衰えも感じない。「いつも全力疾走!」「ごはん大盛で!」という感じで生きてきた人なら自分の最大体力ゲージが把握しやすいのかもしれないが、僕の場合は常に8分未満の力で生きてきたから、減ったのかもよくわからない。
家系のおかげで目も衰えないしハゲない。胸毛もない。
放っておかれたら、平気で15時間くらい眠れてしまう。
わたしin冷蔵庫on洗面所with生活感
自分でいうのもアレだけど、たたずまいが軽すぎる。普通、おじさんって<ガリガリ><ぽっちゃり><筋肉質>のどれかじゃないのか。変に着やせするのであんまりスーツもフィットしない。何を着てもビシッと決まらない代わりに、極端にダサくなることもない。
見るからに若々しいというより、誰にも実年齢を気にされていない感じだ。多趣味が高じていつのまに人と話しこむので、気がつけば20代3人に囲まれてカフェでyoutubeの話をしていたり、50代とマンツーで豚骨ラーメンを食いながら日本シリーズの予想をしている。
ふと、これってモブ化してない?と思う。
中学校のころから趣味嗜好はほとんど変わらないのに、周囲との調和スキルだけが伸びて続けている。自然体といえば聞こえがいいが…時々そんな自分が「何者でもなくなっている」ような気すらする。
ダメだ。長く生きたからには、もっと年輪を見せつけていくべきなのに。
さて、こんな僕にも目標とするおじさんがいる。
妻の会社の別部署の上司という微妙な距離感で、会ったこともないのだけれど、話を聞いているだけでゾクゾクするくらい良い力の抜け方をしているのだ。
・有給をすぐ使い果たして普通に欠勤する
・通勤路をゆっくり歩きすぎて1~5分の遅刻を繰り返し、ぴったり遅刻した分だけ残業して帰る
・冗談が通じそうな人には、冗談だけを目的としたメールを送る
・そのくせ誰かのピンチには、部署の垣根を超えて手助けしてはすぐに去っていく
いわゆる「ダメだけど、あの人なら仕方ないよね」の典型例。家庭を持ちながら、必要以上の出世を完全に投げ捨てているところが素晴らしい。
彼は僕よりもしっかりとおじさんだ。
でっぷり太ってはいないものの、ちゃんと老眼になり、ちゃんと腰痛になっている。昔取った杵柄で突然ギター教室に習いはじめ、地域住民と親睦を深めたりもする。
さらにここからがすごい。もともと芸大出身のためものづくりのセンスがあり、1年足らずで本格的な自作CDを制作するに至った。ジャケットデザインも自作。コーラス担当にはなんと奥さんも参加していて、そんな身内感満載の作品にもかかわらず、彼はあっさりと職場の人にも配って回ったらしい。
さらにさらに、そこで書いた歌詞をスピンオフして「サキュバス山下」みたいな名前で詩の雑誌に投稿しているというから恐れ入る。
なんという思いきり!
センス、抜け感、表現に対する躊躇のなさ。
自分はまだ到底そのエリアには到達していないと痛感する。
所詮僕のマイペースなど、固まった自己イメージの内側の話なのだろう。思えば同僚から「おしゃれ七三にしてみたら?似合いそう」と言われ続けた時も、かたくなに実行に移さなかった。
妻の上司は自分の気持ちのままに行動し、自然と周りを巻き込み、好評や悪評をありのまま他人にゆだねている。その潔さがあるからこそ、自然に年を重ねていけるのかもしれない。
考えてみれば周りのTHEおじさん達はみんなそうだ。誰も聞いてないのにえんえんと野球の持論を語り、浜辺美波みたいな子入社しないかなと漏らす。時にデリカシーを超えた「オレの意見」をもっている。
そう、僕には”どう思われてもいいや”が絶対的に足りない。
今後ちゃんとしたおじさんを目指すにあたって、このあたりはひとつの大きなテーマになりそうな予感がしている。
ブログではいっそうの濃い表現を心がけていく。読者の皆様のおかれましては、なんか変な方向に行こうとしていたらぜひ止めてほしい所存。
余談だが、上司の祖父母の名前は「金太郎」と「クマ」とのこと。
よりによって、である。人がどう思ったって気にしないという資質は先祖代々受け継がれたものなのかもしれない。
ちなみにうちの祖父母は「牛太郎」と「タマ」だ。
それはそれで、である。