「パンドラの箱」という神話がある。
既にご存じの方も多いと思うが、あらためてまとめると以下。
***
人間が神の所有物だったはずの火をつかって繁栄する
↓
ゼウスは怒り、パンドラという人類最初の女性に箱を持たせ「開けるな」と命じる
↓
パンドラが好奇心に負けて箱あけちゃう
↓
箱からは災いがあふれ出て地上を覆いつくす
↓
箱の底には希望が残っていた
***
…相変わらず教訓がよくわからない話である。
箱を開けるなというなら最初から渡さないでほしいし、”人類最初の女性”というのがプチ情報にしては画期的すぎるし、パンドラちゃんが火を使った人類のメンバーじゃないのも気になるし。
いきなりきた派遣の女性社員が大ミスで会社をつぶして「ほら人類やらかしたー!」と言われても、経営陣は反省したりしないだろう。
これが神話なのか。
それなら、今から僕がぶつけるクレームのほうがよっぽど教訓がある。
みなさんにもごく身近な、飲食店への意見提言である。
①「パンパンの箸」
汝、暇だからと箸入れをパンパンにするなかれ。
確かに店の権力者はとかく従業員がぼーっとしていることを好まないし、時間があれば手を動かせという。それは分かる。結果、すでに鏡面のように輝いているテーブルを形だけ拭く、といった愚行が生み出される。
その最たるものが「パンパンの箸」だ。隙間なく詰めすぎているせいで、たった一膳引き抜くのすら大変になってしまうじゃない。ちょっと飛び出しているのをつまんだら、箸入れごと持ち上がってしまうみたいなこともある。客に、不便と辱めをもたらしているのだ。
なんか働いているふりをしよう。一膳分でも隙間があればねじ込んでやろう。空回りした従業員の気概が生み出す悲しき産物。きっと、手のひらを固く握って、箸のてっぺんを何度も殴ったに違いない。
<教訓>
120%のサービスは逆にマイナスになる。
少し余裕をもたせるくらいがちょうどよいことを心得えよ。
②「サラサラの箸」
汝、ツルツルの食べ物にサラサラの箸を合わすなかれ。
特に餃子や麺類など手打ちにこだわっているお店に多いのだが、なぜ摩擦のないもの同士を掛け合わせようとするのか。
昔近所にあったラーメン屋は、極太ツルツル麺だったためにとにかく食べるのに時間がかかった。上腕から指に力を入れて、箸で麵をぐっと挟む。このとき箸先を上にすると麺が指のほうにツル―ッと滑り落ちてきてあちーので、箸先は下に向けなければならない。だが、それはそれで今度は麵がすべてスープに還ってしまう。結果、箸を口まで持ち上げたらそれはただの湿った箸だった、みたいなことになる。
食べ終わったころには口より胃より手が疲れているなんて、飲食店としては失格だろう。
<教訓>
つくり手と食べ手。料理と箸。
口に入れるまでが食事であり、なにごとも相性をふまえた組み合わせを考慮すべし。
③「ヒタヒタの水」
汝、ピッチャーいっぱいに水を入れるなかれ。
これは正直パンパンの箸と同じ内容になるが、再度伝えておく。いくら暇だ、補充がめんどくさいとても、ちょっと傾けただけでピュッて出るくらいヒタヒタにするのはいかがなものか。しかもカウンターから一段上の高い位置に置いてあることが多く、かっこつけて女性の分まで水注ごうとしたら微妙に腕プルップルしちゃうなんてことも。挙句の果てには「フタを押さえて注いでください」と逆切れの但し書きがあったり、意外とトラブルの種がひそんでいるのだ。
なにごとも適量が一番。
明らかに男子柔道部の飲み会とかでない限り、せいぜい8割入れにとどめておくのが妥当だろう。
<教訓>
レモン入れるとかイキるまえに利便性を優先すべし。
少し余裕をもたせる~以下同文
***
すごく細かい話で申し訳ない。
3つの提言に共通しているのは、店が自分の都合しか考えてないのでは?という点だ。
もちろん、この意見を聞いたうえでなおパンパン・サラサラ・ヒタヒタでいきたいのなら自由だが、我を押しつけたサービスになっていないかを日々考えるのは、飲食店にとって大事なことだ。
行列のできるお店の中には、行列すげーだろ、こだわる分遅くても仕方ないぜ、とオペレーションを改善する気のないところもある。お客としては、長い行列を経てモノを扱うみたいに接客されると「あれ、俺とお前対等だよな?」と聞きたくなるし、再度訪れる気がなくなってしまう。
盛者必衰。
お互いが自らを神と感じることなく、足をすくわれないよう気をつけたいものである。