眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

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キラキラネームにはまだ慣れない

親のエゴで読めない名前を子供に授けるのは、本人に一生の説明責任を課し、他人様に確認の手間を強いること。そんな風に思ってきた。「国際社会で通用するように英語っぽい名前で…」なんていう親をみると、まずは日本の常識予選を勝ち抜かんかいという気持ちになってしまう。

 

キラキラが出始めた頃は、一時の流行だろうとタカをくくっていた。ところが当初の読みはとうに外れ、もはやちょっとやそっとの当て字じゃ誰も驚かなくなっている。訓読みだろうが音読みだろうが先頭の文字じゃなかろうが読み仮名を拝借する、いわゆる「ぶった切り」は完全に市民権を得た。

「あやめ、です」
「あ、何ちゃん?」
「あ、や、め、ですぅ」
「どんな字をお書きになるの?」
「彩に、優しいに、雨で」
「まぁ~♡いい名前~♡」

で意外とコトが済むようだ。子供のころはひらがなばかりだし、他人様の子は知ったことじゃないってのが本音だろう。

さすがに、ここまで浸透した文化を全否定するのは老害だ。そう思った僕は、自分の考えをあらためるよう少しずつ努力をしている。名前を聞いて、うげっ、と思っても、モグラたたきのように違和感を胸に押し込めて生きているのだ。

 

違和感の背景には2つの理由がある。
ひとつめは、僕が苗字を間違えられ続けてきたから。苗字は親の想いがこもってない分、それはそれでやるせない気持ちになる。

僕の場合は口頭ではなく文面で間違えられる方で、それほど難読ではないものの、普通に坂田でいいところを坂”多”みたいに余計なひねり(坂多氏には悪いけど)が入っているパターンだ。よく名前を間違えられる人は分かると思うが、それをやったら台無し!という瞬間は本当によく出てくる。

「本日はご来店ありがとうございました。ぜひ最高品質のオーダーメイドベッドを提供させていただきます。世界にたった一つ、あなただけの、唯一無二の、オンリーな、かけがえのない、そう、坂田様だけの」

とやられてしまうと、めっちゃ接客頑張ってようが、タキシードを着てようが、一気にソイツへの信頼を失ってしまう。だって、どうしたってこっちを見てない感が出てしまうから。さすがにビジネスシーンなんかでは慣れたけど(3割くらい間違えられる)、初回の挨拶メールから名前を間違う人はその後もミスを連発する傾向が強い。

 

まあ、かくいう僕自身もここがWEBなのをいいことに、ほぼ校正せずにブログ投稿を続けている。元本の編集者としてはあるまじき姿勢で、その点については言えた義理ではないのだけれど…名前は他人様へ宛てて使うものだけにより慎重を期したいところだ。

 

 

さて、もうひとつの違和感は、僕が自分の下の名前を気に入っているからだ。

ネムヒコっていうのはもちろん偽名で、本名は中性的でさらっとした一文字。(ケイとかシュウとかそんなイメージ)

字はオリジナリティがありながら、書き間違いも読み間違いもされたことがないちょうど良さ。もちろん説明も楽だ。響きと字面で押すキラキラネームの魅力とはある意味対極にあり、われながら”粋”を感じる。親にもらったものの中でもトップクラスに好きなもののひとつだ。

だからこそ、身分証明の機会なんかで説明に手間取っている人を見ると不憫に見えてしまう。


想像するとゾッとする。
もし、自分の名前が「春夢」と書いてハムだったら。

ファンシーすぎる文字面、
読みの難解さ、
音のおかしさ、
待ち受けるアダ名地獄。

たぶん、外国人からもいじられるだろう。
想像を絶する苦難が待っているに違いない。

初デート。
「ハム‥」なんてつぶやかれたら、こいつ腹減ってんのかと思うだろう。

ようやく迎えた夜。
「ああ〜ハム〜 」なんて求められたら、どんだけ肉食やねんと頭をはたきたくなるだろう。

とどめに葬儀場。
「これからハムを焼きます」と言われた日には。成仏しきれない僕の魂は、もうブラックペッパーでも振ってくれ!と叫ぶはずだ。



 

おふざけがすぎたけれども、名前ってやっぱり大事ってこと。
お子さんを授かったらいま一度深呼吸して考えてほしい。ひねりにひねって自分だけのオリジナル変化球を投げたとしても、キャッチャーが取れなければ意味がないのだから。


まあ、自画自賛した僕の下の名前にも思わぬ問題がなくはない。
それは、妻とほとんど同じ名前という点だ。
僕がケイで、妻がケイコみたいな感じ。

なので、妻は僕の名前をほとんど呼ばない。
「ケイ君さあ、」
と言った瞬間、「はっ、私もケイなのに」と思うのかもしれない。
考えようによってはこれって結構な不幸である。

名前がほぼ一緒というのはつい忘れてしまうので、意外な場面で仇になる。
妻の実家に行った時なんか、

台所から義母の「ケイちゃん、ミカン持って行ったら」という声が聞こえた瞬間、
大声で「ありがとうございます!」とお礼を言ってしまった。
名字まで一緒になったいま、病院では2人一緒に立ち上がりそうになることすらある。

 

個人情報だなんだと名前をひた隠すことが求められている時代に、当の名前は自己主張をますます強めている。

なかなかあべこべな世の中だと思う。

いっそハム太郎が最強かもしれない。