眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

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詩を書くという青春

何が一番得意かと聞かれたら、詩を書くことと答えます。
上手い下手は置いといて。あと、そう答えて何か得するタイミングが人生のどこにもないのもその横に置いといて。

最初に書いたのは学生時代、些細なケンカで濃い目のコミュニティを追放されたときでした。ひとりで歩く片道1キロの通学路はまるで精神と時の部屋。古本屋で買った濱田成夫の『自由になあれ』に背中を押されて、僕はみるみるうちに覚醒します。それは、まさに踏まれたクローバーしか四つ葉になれないといった類の大ラッキーで。

擬音にするならピャー!って感じで無計画に言葉が降ってきて、つかみ取るのが追いつかないくらいだったのです。

 

自由になあれ―三代目魚武 浜田成夫 (角川文庫)

自由になあれ―三代目魚武 浜田成夫 (角川文庫)


ただ、そんなに言葉をもらってもできることは限られています。見よう見まねで詩のカタチにしていくと、なぜか癒されるような気持ちがありました。目の前に現れる思春期のもやもやを言葉の型でくりぬいて、パンを焼きあげるような万能感。

「えっポエム!?」ってバカにされるのが嫌で誰にも言いませんでした。日本語ラップ(笑)と一緒で、日本の子はとにかくレッテルを張りたがるから、余計な無理解を浴びたくなかった。みんなカラオケではさんざん「ミスチルの歌詞いいよなあ」って言っといて、音がない文字はダメだから不思議です。

なのでバンドを組んだのをいいことに、俺が好きなのは”歌詞”だとロンダリングしていくわけです。

※ちなみに僕が、歌詞ではなく、詩を書くんだと打ち明けたのは英会話教室のマイクだけ。「すごいね!僕も詩を書くの趣味なんだ!」と丸太のような上腕筋を差し出されて、お前どんなペン使ってんねんとツッコみそうになったのを覚えています。

 

ともかく学生時代の僕はバンド活動の大義名分を得ていっそう創作に励みました。ライブのためとか、ネットを通じて誰かに頼まれたからとか。もちろんそれが本当だったところもあるけど、結局は純粋に自分のためにやっているだけでした。僕にとって言語化の営みは、全力疾走の何倍もストレス解消になります。もしかしたら瞑想とか懺悔に近いのかもしれない。


でも、そんなに得意で気持ちいいことを、僕は年を取るとともにやらなくなっていきます。

10代は数千個。
20代は数百個。
30代は数十個。

言葉にのせていたわがままは、吐き出す前に体に染み込んでしまうようになり、書くことも、もがくこともどんどん減っています。それが大人になった証、であるはずなのに。なぜかもったいないと思ったりする自分がいて。


ときどき無性にいびつなものを書きたくなる。
このブログでたまに(というか前回も)変な投稿したりするのも、たぶんその一環なんですね。

 

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でも実は、昔書いた創作物を手直ししたりもしています。

それはある人と一緒に『道京(とうきょう)』という名の本をつくろうとしていた時の記録。東京中を歩いて、徹底的に言葉に向き合った記憶です。

思えば僕と詩の岐路はあそこでした。
僕はその人と出会って人に合わせた言葉を覚えてしまい、向こうはそれを察知して「私のために書かないで」と言い続けた。結果として<何のために書くか>という沼にハマり、詩から離れていくことになります。

そんなつもりねえよなんだかわかんなくなっちゃったなー、と当時はとにかくボロボロだった。でもそんな風にあがいた自分を今は懐古してしまうのです。

 

別に後悔してるとかではありません。
やりきった気持ちもちゃんとある。

僕は「あの頃に戻れたら」と「あの頃の自分はできなかったんだよな」をセットに考えているし、ダメだったこともすべて今につながっていると思ってる。人と感情をこすり合わせることで歪さが取れて、企業に入ってつまらない文章も書いてきた。でも、だからこそブログを続けて、共有することの価値も知っているわけです。

 

見てくださいとお願いをして。
ありがとうとお礼をいって。
ちゃんとすることを、ちゃんと覚えた。

それでも、

僕はまだかっこつけたい。「あなたのわがままが好き」と言われたい。
ごちゃごちゃ言ったって、きっとそれだけのことなんでしょう。

最後に昨日始めたサブブログを貼っておきます。
もしよかったら見てやってください。

>>『道京』全編
>>詩だけのまとめ

いつか新しいのも書いてみようと思います。
ま、まあ、歌詞だけどね。