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LOVEあんこ ~あんこをじじいに例えて語る回~

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あんこが好きだ。

とはいえ缶ごと、あるいはフィリング丸出しで食べたいわけではない。"あんこ吸い"で知られるあんこマスター・川田裕美さんとは、本質的に愛のカタチが違う。


このニュアンスをどう伝えようか考えた。
下手するとYUKIの時と同じように「本当に好きなの?」という誤解を呼びかねない。

考えること数十秒。ある答えにたどり着く。

そうだ、じじいだ。

おじいちゃんが好きでも老人男性フェチではないのと同じ。おじいちゃん子だった僕にとってはちょうどよいではないか。

ということで今回は、いろんなあんこの食べ物をじじいに例えて切々と語る。だいぶカオスな回である。

おしながき、カモン。

 

 

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ぜんざい、おしるこ

いきなりクライマックス。これぞまさにあんこを最大限な生かす食べ方といえよう。素材の魅力を生かつつ、最低限の調理工程で最大限のほっこり感をかもし出している。

例えるなら風呂に浸かってるじじいだ。ぜんざいとおしるこの違いは諸説あれど、僕はそこをあまり重んじない。湯船に肩まで浸かってるか、頭までどっぷりつかっているかくらいの違いだ(冷やしぜんざいは水風呂)。餅の存在価値については後述する。

懸念点は豆感。無駄に素材を重んじるとただのレッドビーンになり、「イギリスの朝メシじゃないんだから」とツッコみたくなってしまう。豆豆しすぎたおしるこは、欲場を歩いてるじじいみたいなものだ。それはただのじじいであり、萌えとは程遠いのをくれぐれも書き添えておきたい。

 

 

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ようかん

黒塗り感、最高。高級車からビシッとスーツで決めたじじいが出てくるようではないか。見るからに歯ごたえがあって、経済に強くて、昔自分が建てたデカいようかんみたいなビルの話なんかもしっかり語ってくれそうな雰囲気がある。ようかんをちょびちょび食べる用のちっちゃい木も、杖みたいで趣深い。

ただし水ようかんは違う。”水”というだけあって、若い時に水商売で成功しじじいがいまだに茶髪で髪立ててるみたいな違和感がある。あんこにとって艶は魅力だが、ツヤツヤしすぎたのは悪趣味だ。

※ういろうはあんこがデフォルトではないので除外する。個人的には、ゴルフウェアで平気で街を歩く中小社長のような、もっさいイメージを持っている。

 

きんつば

”金鍔”とたいそう大物ぶっているが、意味もなくパッサパサ。カロリーと満足度が釣り合っているようには見えない。日本の政治に条件反射で文句を言い過ぎて、新しいものを吸収できないじじいに見える。あんこは、もっとみずみずしくないと。だいたい「金」が名前に2つも入っちゃうようなのは信用できないのだ。
(もちろんチャイナ&コリアとかじゃなく、成金的な意味で)

こういう風に言うと「本当に美味しいのを食べてないからだ!」という人がいるけど、食べ物の真価や好みはごく日常で手に入るもので決まる。高級品・希少品に限って誉めそやすのは暴論だ。

 

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あんぱん

うーん。生活感があって、変哲がない。普通に洋服着てるじじいという感じ。個人的に、よくある丸いアンパンは”自然”だが”相性抜群”とは思わない。日本のパンがユニクロ並みに万能なだけで、あんこは別に活かされているわけではないのだ。その点、フランスパンなど海外のクセをまとったパンは小粋で面白い(スタバの『あんバターサンド』が一例)。

とはいえ色んな味の餡を使ったり、面白い形に成型したり、懐の深さは評価されてしかるべきだろう。アンパンはいまや子供たちのヒーローだ。これだけの功労者をあまり無碍にするわけにもいくまい。
アンパンチは古き良きじじいのビンタ。愛があるから響くのである。

 

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大福、あん団子

これは合う。お汁粉、ぜんざいの項で餅についてふれたが、あんこがじじいなら餅はばばあ。やっぱり2人だからこそできることがあるのだ。よく、「歳をとっても手を繋ぐカップルになりたい」とのたまう小娘がいるが、あれはあんこ語で「私、大福になりたいの!」の意。いつまでも温かい心にあんこを包んで育ってほしい。

豆は多すぎなければあってもOK。ただし草餅や桜餅は若干怖い部分もある。”餅”とついている通り主役はばばあになるわけで、色気のある伴侶を連れていることで食べ物としては目立てる反面、じじいの存在感は希薄になる。夫婦タレントはだいたい男が目立たないのと一緒だ。

ちなみに八ッ橋はあんこ語で”浮気”の意。ミルクボーイの漫才でもそんな話があったけど、ニッキの淫靡な香りと舌触りはいつだって男をだめにする。

 

いちご大福

いっそうの注意喚起のため色分けさせていただいた。
いちご大福はあんこ界でも一番の問題児。いわばエロじじいだ。高田純次クラスに完成度が高ければ良いが、教養もバランス感もない者が手を出すと職場崩壊すら起こしかねない。

ちなみに、あんこにみかんは無理。あんみつくらいごちゃごちゃならまだ家族の一員として受け入れられるとしても、2人きりとかマジ勘弁。

 

あんまん

舌を火傷させてくるほどのアッツアツ加減は刺激的で、日常を忘れさせてくれる。それでいて、誰かと分け合ったときのロマンス感もある。すごくピンポイントだけど、香港スターじじい。

もちろん、あそこまでペースト状のものをあんこと呼んでよいものかどうかは議論の余地があるだろう。餡ではあるが、あんこではないような。この世にあんこ-1グランプリがあるとしたら、酒蒸しまんじゅう、温泉まんじゅうまでがギリギリ有資格者と言えるのではなかろうか。(筆者が審査員なら3回戦で落とす)。

 

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ごま団子(芝麻球)

トリッキーながら侮れない存在だ。あんまんと同じ中国系でも、こちらはこってりとした中に歴史と知性を感じる。言うなれば科挙じじいという風貌だ。カラッと揚げといてアッツアツなものを「食後のデザート」と言い張るのはやはり日本人の感性ではない。

 

月餅

あーダメダメ。コイツァだめだ、脂っこすぎるし名前も粋がりすぎ。整髪料ベットリ+金のスーツを着ている成金中国人という感じでとても見ていられない。国が変われば、華美であること、ゴージャスであることが美徳とされるのかもしれないが、僕はおもくそ日本人なのでもう少し存在感を控えたほうが好みである。

 

おはぎ

マジ老害若者の汚れなき手にねちゃねちゃと絡む様が想像できる。あんこが外側で持つところがない時点で、作り手の感性を疑うというものだ。昔話に出てくる和尚さんは、修行中の小坊主よりもまずぼたもちの製作者にげんこつをくれてやるべき。

…口が悪くなって申し訳ない。育ち盛りのころ、マイ婆にごはんよと言われおはぎを出された私怨がいまだに残っている。

 

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皮シリーズ(どら焼き、たい焼き、今川焼、最中)

どら焼き‥寝間着のじじい

たい焼き‥作業着のじじい

今川焼‥はんてん着てるじじい

最中‥和服のじじい

この辺は皮も主張しすぎないし、どれもかわいくていいじじいだと思う。注意すべきはどちらかというと店の方。思想をこじらせて、やれ伝統だ、作家先生が愛しただの蘊蓄垂れるのは好きじゃない。

庶民派だから、いいのよ。

 

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かき氷

僕はそこまで興味はないが、若手受けするフィールドで勝負する気概は買いたい。
ただ、あんこがびちょびちょのところに飛び込んでいくリスクはくれぐれも念頭に置いくべき。若作りジジイ、若者に混ざって必死でボケてるジジイになってはいけないのだ。西岡徳馬らオッケーで鳥越俊太郎は痛々しい、となんとも紙一重の難しさがある。

 

井村屋/あずきバー線香 ミニ寸[あずきの香り]
 
あずきバー

かき氷と同じくアイスにも若づくりのリスクは伴うが、ここまでカッチカチだと逆にかっこいい。ロックなじじい。いま日本で「やっぱりオレ、あずきバーなワケ」と豪語できるのは矢沢永吉しかいないと思う。あんラビューOKであり、アンよさらばである。そのパワーは、今僕の頭に浮かんだ「これあんこなのか?」という問いすら吹き飛ばす。

 

(番外)紀の善のババロア

神楽坂の名店『紀の善』の抹茶ババロアを最初に食べた時は衝撃だった。フィリング丸出しだったり、あんこにホイップというパターンは基本的には邪道だと忌み嫌ってきたが…見事に脇役に徹していた。

ババロアを引き立てる執事みたいなじじい。僕もシルバー人材になったらこういう働き方がしたいものだ。

 

***
あんことじじいについて思う存分語らせていただいた。
生きてきた中でこれほど「あんこ」「じじい」とタイピングしたことはないし、今後2度とないだろう。

人生の煮え湯にくったりとつかり、甘さ、渋味、そして柔軟さを身につけた食材のすごみ。僕もジジイ予備軍として大いに参考になった。願わくばがんこじじいより、あんこじじいになりたいものである。