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~アントニオ猪木氏追悼~プロレスと八百長とダチョウ倶楽部と


本日10月1日、アントニオ猪木さんが亡くなった。
技も動きも喋りも、偉大なる顎も、幾度となく真似をさせていただいた。
闘魂が幸せな道を辿りますように。

今年はなじみ深い方が立て続けに亡くなる。
先日の円楽師匠ももちろんだが、
個人的には5月に亡くなった竜ちゃん(上島竜兵さん)の死が堪えた。日ごろ元気を分けてくれる方の不幸はやはりつらい。

昔書いていたブログで、
アントニオ猪木さん×ダチョウ倶楽部>で文章を書いたのを思い出した。
せめてものの追悼として、再投稿してみることにする。

 

***

アントニオ猪木はプロレスだけでなく、総合格闘技の祖としても知られている。
自らモハメド・アリと戦ったり、イベント「猪木祭」で傘下のレスラーを戦わせたり。功罪はともかく、どでかい仕掛けを起こしてきた。

そこには、
「プロレスって”八百長”でしょ?」
と揶揄され続けてきたことへの反発が少なからずあるように思う。
特に昔ながらのファンにとって、その3文字はタブー中のタブー。一歩間違えればケンカに発展するしまうほどだ。

意地悪な人は、こんなシンプルな質問になんで答えられないのかと迫るだろう。はいかいいえで答えればいい、と。ところがプロレスファンの乙女心はそう簡単じゃない。むしろその聖域をめぐるせめぎあいにこそ、プロレスの魅力と影が凝縮しているのだから。


…整理するために、まずは八百長の定義をおさらいしてみよう。

 

相撲、あるいはその他の競技で、前もって勝敗を打ち合わせておき、表面だけ真剣に勝負を争うように見せかけること。
八百長とは - コトバンク )

これをみて、「ほらやっぱり!」と言う人は多いだろう。
確かに字面だけ見ればその通り。もし僕が誰かに同意を求められたら、面倒なので「そうっすねー」と軽く返すだろう。でも心の底に、辞書的な意味合いでは計れないモヤモヤが残るのもまた事実。

なんとかその正体を言語化してみよう。

 

まずひっかかるのは、プロレスは競技ではなくショーだということ。プロレスラーが評価されるのは「勝敗の結果」より「いかに良い勝負だったかという説得力」による。この説得力というのは、プロレス雑誌でも頻出する重要なキーワードだ。

偉大なプロレスラー・アントニオ猪木が亡くなっても、通算〇勝と語るメディアはない。記録がないのはそこが重要ではないからだ。
ファンは結果より、勝負自体を語り継ぐ。


伝わりづらいのを承知で言い換えると、
勝ちは決まっているが、誰かに勝ちを名乗らせるためには、それにふさわしい勝負をつくりあげる必要がある
というのが、プロレス独特の感覚なんじゃないかと思う。
それが為せなければ、もはや勝者はいないも同然。

そして、いい勝負には圧倒的なライブ感が必要だ。そこには痛み、音、間、ハプニング…もちろんお客さんのテンションも絡む。プロレスにはたくさんのお約束(技ごとの掛け声とか)があって、そこにお客さんがポジティブに乗ることでグルーヴ感が生まれる。
ひとしきり盛り上がった結果、応援してる人が勝てば「勝ったー!」だし、負ければ「負けたー!」になる。それがどっちかはこの際関係なくて、感情を揺り動かされたことに価値を感じているのだ。

だから、八百長と表現されるのが腑に落ちないんだろう。
そうなんだけど、そこじゃないんだよ!っていう感じ。

 

猪木さんの場合、途中までくっちゃくちゃな興行でも最後は「ダァー!」といえば締まってしまった。プロレスファンは繊細だが、とっても単純な生き物だ。
もちろんそうなるには強烈なカリスマがいる。前座の若手がこぶしを突き上げたって、まばらな拍手で終わるだけだろう。1、2、3、ダーの意味は分からないが理屈じゃない。Don't think feel。いや、Don't think feelであることを、もはや「Don't think feel」と言わずにやっている感じだ。


まあ、昔はプロレスラーにもだいぶ破天荒な方が多かったので、「これ本気?演出?」っていうのがガチで分からないことも多かった。その辺も八百長論争をややこしくしていた部分はある。

まあとにかく、勝ち負け以外に説得力とかライブ感とかハプニングがあるってこと。そういうこと!

 

 

…と投げるのも不親切なので、どうしても分からない人のためにダチョウ倶楽部に置き換えてみることにする。

 

竜ちゃんが誰かにケンカを仕掛ける。

相手がなんだなんだと立ち上がる。

見ている側はキスを期待する。

その後、以下のように分岐する。

・相手が芸人
→十中八九キスをする

・相手がジャニーズ、男性俳優
→やれんのか!?とハラハラする。結果、キスしたりしなかったり

・相手が女性 
→ほぼ失敗に終わり、リーダーあたりが「できるか!」とツッコむ


とパターンはいろいろあるが、「今日は竜ちゃんキスできるかな」という目線で楽しむ人はほぼいないだろう。そんなの、相手を見たら大体わかる。

それよりも注目すべきは、上島竜兵という歴史あるブランドが織りなすワクワク感だ。説得力。もちろん、相手が妙に演技臭かったり、あまりにも冷たく断ったりしたら台無しだ。

・たまに成功したり(野呂佳代パターン)
・マスク越しのキスでかわされたり(ざわちんパターン)
・女性のほうから不意打ちキスを食らわされたりする(セクシー女優のRIOパターン)。
そんなハプニングもたまらない。どれも楽しい。

こうした客を巻き込むグルーヴ感はダチョウ倶楽部の真骨頂だ。せっかく熱々おでんが始まったのに、客の方からあれって演技なんだと口を出すのはあまりにも野暮ってもの。もはや演技を超えたダチョウムーブ。「今日の熱湯風呂はガチで熱いんじゃない!?」とこっちから寄っていくくらいのほうが正しい態度といえる。


決まりごとを超越するほどのライブ感、グルーヴ感。
それがダチョウやプロレスの魅力だからこそ、八百長なんて味のないワードには延髄切りからの卍固めをお見舞いしてやりたくなってしまうのが本音だ。

僕はそんな気持ちで、「そうっすねー」と答えている。

 

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(参考)不意打ちキスを食らって立ち上がれない竜ちゃん