眠眠カフェイン

横になって読みたい寝言

眠眠カフェイン

長期ニートだった僕が就職するまで記(1/3)

f:id:nemuhiko:20200127204934j:plain


僕は20代後半でニートになり、そのまま30歳の壁を越えた。
ぜんぶで約5年棒に振ったことになる。大事なキャリア形成期をそんな風に過ごしたなんて、我ながら頭がおかしいと言うほかない。

でも、おかしくなる理由はあった。
言い分はあるが、誰かに許してもらえるとは思っていない。
せめて書き綴ろうと思う。

 

ニートになる前、僕は2つの会社に勤めた。
いずれも営業職だ。

僕はいわゆる「氷河期世代」ではあるが、仕事なんて選ばなければなんでもある。というか仕事に興味がなさ過ぎて、新卒の時ですら1社しか面接を受けなかった。文系で何のスキルも持たない自分ができそうなものを適当にクリックし、聞かれた質問に答えただけだ。


1社目はいかにも昭和な家族経営のモノ売り企業。
別に有名でもないのに総社員数は2000人くらいいて、経営陣も妙に勘違いしちゃってるところがあった。

若手はエレベーター禁止で、屋上(10階)まで階段を駆け上っては大声で社訓を叫ぶ。まるでブラック企業のコスプレをしている気分で、妙に俯瞰して面白がっている自分がいた。同期も多かったし、1階の喫煙所までタバコを吸うために集団ダッシュしたのはそれなりに青春の思い出ではある。

とはいえ、仕事へのモチベーションは皆無だ。「PCは何世代も古い型を数人で共有」「部長クラスには3回挨拶してやっと口をきいてもらえる」など、何から何まで古臭くてくだらない風習ばかりだった。

仕事は研修いっさいなしの飛び込み営業。
遅刻して、マンガ喫茶でサボって、上司に噛みついて。
特に直属の先輩とはそりが合わず(ヤンキー時代の武勇伝ばかりしていた)、髪の毛を引っ張りまわされたこともある。

うるせーな、こっちだってやりたいわけじゃねーよ。
そんな顔をして辞めた。

金正恩フォルムの支店長は
「お前とは戦争や。二度とこの業界で働けると思うなよ」とミサイルを飛ばした。

 

 


2社目は広告代理店。
1社目に比べ社員数は50人と少なくベンチャー気質ではあったものの、こちらもゴリゴリの家族経営だった(奥さんが旧姓のため気づかなかった)。

社長は元暴力団で人をよく殴っていたが、なぜか僕は被害に合わなかった。さすがに僕を倒しても経験値が入らないと思ったのだろう。

この会社では酒の席が地獄だった。会社が飲食店を経営していたため、とにかく取引先と飲んで仕事をとるスタイルだった。必然的に社員も酒飲みが多く、公私を問わず絡まれ続けることになる。家に着く頃には、ほぼ毎日1時を回っていた(6時半起き)。

僕のスケジュールは分刻みで管理されていて、昼食はいつも歩きながら食べていた。1社目に比べて監視ツールが進歩している分、ムダにハイスペックなブラック体質といえた。


おかげさまで僕の怠け癖は大きく改善される。
が、代わりに考える気力を失った。


業務上少しでもミスがあれば、罵声、長時間の説教。水道橋のデニーズで8時間ほど同じ話をされたこともある(いまでも東京ドームへ行くには勇気が必要だ)。ほかにも、先輩の大荷物を持っているせいで傘を開くのを手間取ったら「傘もさせねえのか!」と蹴り落とされたりと、まさに一挙手一投足を批判される状態。
喫煙所でしゃがみこみ、煙草で頭まで真っ白にして瞑想するのが唯一の癒しだった。


説教で業務時間が圧迫されるからミスが出て、急ぐからミスが多発する。
絵にかいたような負のスパイラルに突入していた。

 

睡眠不足から思考停止で仕事し、なじられる。
自尊心の削られる音が聞こえるようだ。
同僚が口癖のように言う「プライドを捨てろ!」の”プライド”が””自尊心”がどう違うのかは知らないが、僕は明らかにダメな部分まで捨てようとしていた。

当時の知り合いに送ったメールは明らかに様子がおかしく、文章の途中に変な記号が混じるようになった。
医者は「自律神経失調症」と病名をつけた。
それでも僕は、半ば洗脳状態で仕事をつづけた。

 

f:id:nemuhiko:20200127210859j:plain


だが、まもなくトドメの瞬間は訪れる。
ある日母が脳出血で倒れ、予断を許さない状態になったのだ。生き残る確率は10%と言われたが、幸運にも手術は成功した。

母の容態の変化に伴って、僕はときどき急な休みを取るようになった。上司はそれでも鞭を緩めず、「クソ忙しいのに」と露骨に嫌な顔をするようになった。

最後の引き金をひいたのは、とりわけ厳しい営業部長の一言だ。
僕は連日の寝不足から、取引先で居眠りをする失態を犯していた。

「居眠りしない方法、母ちゃんに教えてもらえよ」
瞬間、ICUで喉にチューブを差し込んだ母の顔が浮かんだ。当然、彼は僕の母の病状を知っている。


その一言で僕は完全に洗脳状態から目覚めた。
と同時に、心の熱が消えた。

仕事ってこうまでしてやらなきゃいけないものなのか?

「脳みそ使えよ」
「ほんと何もできないな」
「大卒の失敗例」
「お前、いつ辞めんの」
.
.
.
それまでに浴びたどんな否定からも得られない異質な感覚だった。

 

まもなく会社を辞め、家に閉じこもる。
何の罪もない友達とも連絡を絶ってしまった。

まさかそこから、2000日近い自問自答が始まることになろうとは。


続き(2/3)